アンザック・デーの憂鬱とマイト・シップ

アンザック記念碑があるシドニー中心部のマーティン・プレイス
標準

※このエントリーは、私(平野美紀)が、2004年4月26日に執筆したものです。ODNの公式サイト内で連載していたブログ記事の1つで(のちにソフトバンクテレコムに買収され終了)、今年2012年のアンザックデーに寄せて再アップしました。

 昨日の日曜日(4月25日)は、アンザック・デーだった。なので、本日月曜日は振り替えとなり、一部の州を除いてお休み。(オーストラリアは州によって祝祭日が異なる)

アンデック・デーとは何か?

 第一次世界大戦時に、オーストラリアとニュージーランドで編成された「アンザック(Australian and New Zealand Army Corporationの略=ANZAC)」が、トルコ戦線突破のためにトルコのガリポリに上陸した1915年4月25日を記念した日。

 ちなみに、この作戦は大失敗に終わり、多くの戦死者を出した。

 このアンザック・デーには、オーストラリア国内各地と戦地となったガリポリで、亡くなった兵士達を追悼するための記念式典が行われる。

 しかし近年では、本来のアンザック隊及び第一次世界大戦関係者達(兵士や軍従事者、軍属医療関係者等)が高齢により少数になってきているということもあり、第一次世界大戦関係者だけでなく、その後の戦争も含め、参加した兵士や関係者達、遺族達全体を対象とした式典となってきている。だから今となっては、このアンザック・デーを一言で言ってしまえば、「戦争記念日」とも言える。

敵国は日本!

 第一次世界大戦以後の戦争には、もちろん第二次世界大戦も含まれる。オーストラリアにとっては、唯一の本土爆撃を受け、多数の戦死者を出した第二次世界大戦。

 しかも、その敵国は日本!

 おそらく今年あたりは、大多数がこの第二次世界大戦関係者になってきているとみられ、このアンザック・デーは年々、日本人にとって“居心地の悪い日”になってきている感じがしないでもない…。

 数年前から(いやそれ以前から?)在豪邦人の間では、「大使館から外出禁止令がでている」とか、「パレードにぶつかってしまったら唾を吐きかけられる」といった怪情報が流れたりするほどで、少しでもオーストラリアと日本との戦争のことを知っている日本人は、アンザック・デーが近づくにつれ、日々戦々恐々としている…と言っても過言ではないと思う。

 #もちろん、そんなこと全く知らないという人も多くなってきているようだし、唾を吐きかけられたり、罵倒されたりした人がいたという話は、今まで一度も聞いたことがない。ほとんどまったくのデマ情報なんだけど。

私達は日本のファシズムと戦争した

 そんなこともあって(?)アンザック・デーは、とくに用事がない限り外出はせず、いつも自宅で過ごすことが多い。でも、自宅で過ごしていても、テレビからは式典の様子や退役軍人へのインタビューなどの映像が次々と飛び込んでくる。

 やはり思っていた通り、今年は第一次世界大戦関係の生存者はあと6名となり、ほとんどが第二次世界大戦関係者と一部のベトナム戦争関係者になっているようで、第二次世界大戦で日本軍の捕虜=POW(Prisoner Of War)となった退役軍人の方がインタビューに答えていた。

 私が見始めたのは途中からだったので、どの隊に属していたか等の詳細は聞くことができなかったが、その退役軍人の方は、あの『死の鉄道(DEATH RAILWAY)』として知られる『泰緬鉄道』建設に従事した人であった…。

 実は元々、オーストラリアの元日本軍捕虜だった方々が、どのような見解をされているのか?日本に対してどのように思っているのか?、個人的にとても知りたかった。それは、イギリスの元POWの方々の中には、今でも日本を恨み、それこそ日本製品まで毛嫌いして一切使わないという人も少なからずいる…という事実をロンドンに住んでいた頃に知ったからだ。

 こうしたPOWの方々の心情を察してか、イギリスでは8月15日戦争記念日を名指しで『VJ Day(Victory over Japan Day:表記はoverの部分がinになるなど、いくつかある)』としているほどで、この事実はほとんどの日本人が知らないのではないかと思う。

 だから、同じように日本軍の捕虜となったオーストラリア人の方々がどのように思っているのか?これは、この国に住む日本人ならとくに、絶対に知っておかなきゃならないことだと思っている。

 くだんの退役軍人の方の話は、要約するとこんな感じであった。

 「たしかにあの頃は、大変でした。地獄だったとも言えます。正直なところ、ナガサキに原爆が投下され、(戦争が終わって)心の底から喜びました…、その後(被爆者のことや壊滅状態になった町など)のことを知らなければ。

 あの頃は、友人がどんどん増えた。日本人や韓国人の人達と一緒に風呂に入り、言葉はわからないけれども、日に日に友情が芽生えていった。それに引き換え、もうこの歳になると、年々友人達がこの世からいなくなってしまう…実に寂しいことです。

 私達は日本のファシズムと戦争したのです。

 戦争というのは人類にとって悲劇です。でもあの戦争で、私には日本人や韓国人などの友人(Mate)ができた。それはかけがえのない事実で、私の人生に置いて貴重な体験だったのです」

 インタビュアーから「イギリス人もいたわけですが、彼らからは過酷であったと様々な不平や憤りが表面化していますが、それについてあなた方はどう思いますか?また、最後にイラク戦争についてコメントをお願いします。」と質問され、さらにこう続けた。

 「彼ら(イギリス人捕虜)より、私達の方が適応能力があったということでしょう。私達は倒れてもまた起き上がれる力があった。でも、残念ながら彼らには無かった、そういう違いかも知れません。

 それに、日本軍からはジュネーブ協定に基づいて賃金をもらっていました(*)ので、それでドラッグ(大麻など?)を買ってましたねぇ(笑)。

 イラクのような遠いところのことに注力するのは、あまりいいことではないと思います。
国費も際限なくあるわけではないのだから、もっと近隣のことに力を注いだ方がいい。例えばアジアや南太平洋諸国のこととか、ですね。」

 自分達は日本のファシズムと戦争したと言い、たしかに過酷ではあったけれど、友人が増えたことが嬉しかったと、まるで楽しい思い出話をするかのように、にこやかに話す前向きな姿勢には、正直頭の下がる思いだった。

 オーストラリアでは確かに、先に書いたイギリスのPOWの方々(今でも日本製品を一切使わない等)のような人がいるという話は、今のところ聞いたことがない。ここオーストラリアでは、日本製品の性能の高さは誰しもが認めるところだし、スシをはじめとする日本食だって老若男女問わず人気だ。

 そういえば以前、キャンベラの戦争記念博物館を訪れたという日本人の方が、退役軍人の方から館内説明を受け、帰り際、こんな言葉を掛けられたという話も耳にしたことがある。

 「戦争は過去のもの。戦争というものが人間をも変えてしまう…すべては戦争の責任なのです。日本人を恨むことなどありません。私達の使命は、こうしてあの体験を人々に間違えなく伝えることです。是非大勢の日本の方々にも来ていただきたい。」

 間違えなく伝える…そう、上記の戦争博物館には、アンザック・デーのキッカケとなった地中海(ガリポリ)への軍隊輸送の際、護衛する役割を日本の軍艦が行ったことに対する謝辞も掲示している。

そのためか、近年在豪邦人の間で囁かれるデマ「アンザック・デーに、日本人だとわかったら痛い目にあう」どころか、退役軍人(おそらく第一次大戦参戦者)に敬礼されて、恐縮したという人もいるほどだ。

 たしかに、これはいくつかの事例に過ぎないのかもしれないし、中には過去の戦争において敵であった日本をよく思わない方々もいるのかもしれないが、 こうして見てくると概ね「過去のことをいつまでもとやかく言うのではなく、先を、そしていいところを見ていこう」という前向きなオージーの気概を感じる。

オーストラリアのマイト・シップ(友好関係)

 “オージー=オーストラリア人は、フレンドリー”

 よくそんな風に言われるけれど、実は口は悪いし、意外とぶっきらぼうで、単純にフレンドリーというわけでもない…と思う(苦笑)。それよりも、正直で前向き、そして寛大な心を持ち、何かを恨む前に自分のプラスになるように考えるから、誰とでも友達になれる。オーストラリアのMate ship/マイト・シップ精神は、こんなところから来ているのかも…と感じた2004年のアンザック・デーだった。

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 (*)=この話「捕虜に賃金を払っていた」というのは、私もタイのカンチャナブリー(泰緬鉄道の鉄橋などがある)郊外にオーストラリア政府が建てた記念館で目にした。(よく知られるJEATHではなく、ヘルファイア・パスのところにできた新しい記念館)

 #くだんのインタビューに答えていた退役軍人の方の話の中に、「イギリス人より、オーストラリア人の方が適応能力があった」というのがあったけれ ど、実際、捕虜の中には米(飯)など、日本式の食事を嫌い、拒否した人もいたよう。でも、確かにオージーなら何でも食べただろうと思う(この国の食文化の 発達の早さは、こんなところにもあるのかも?)し、蚊などの虫がほとんどいないイギリスで生まれ育った人と、そういう状況が当たり前だったオージーとで は、感覚の違いがあるのではないかと思う…。

 また、本当のことを言えば、この話題には触れないでおこうかとも思ったのだけど、日本人として知っておくべきことだと思うので、あえて書くことにしました。まただからと言って、いろいろ言われているような悲劇的な事実がなかったとか、そういうことに言及するものではなく、「こういう一面もあったし、 こんな風に思っている人もいる」ということを知っていただけたら、と思います。

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Miki Hirano平野 美紀 
自然に魅せられ、6年半暮らしたロンドンからオーストラリアへ移住。トラベル・ジャーナリストとして各種メディアへの執筆、ラジオ/テレビ出演などで情報発信しながら、メディア・コーディネーターや旅行情報サイトの運営も。目下の関心事は野生動物とエコ。シドニー在住20年以上。詳細なプロフィールはこちら。
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