旅で出会った不思議なこと、おもしろい事件、悲しいこと等など・・・つれづれなるままに、書き綴り候・・・。
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隣りの人・・・
 Report : チチョリーナ

飛行中は、いやでも同じ飛行機に乗った人と 時間を共有することになる。 そして狭い飛行機での過ごし方は、だいたい決まっている。 機内誌を読んだり、ガイドブックを読んだり、 映画を楽しむ、ひたすら寝る、 体操を欠かさない、とにかく靴を脱いでリラックス!! ・・・など、老若男女いろいろだと思う。

その日は、楽しかった旅の最終日。 名残惜しい気持ちと、自分のベッドで眠りたい気持ちが交錯していた。
ミラノのマルペンサ空港から関西空港に向かう飛行機の中。 出発の時間まで、まだすこしある。

前の座席では、新婚旅行から戻るカップルが  お土産の高級腕時計を、見ながらいちゃいちゃしている。 その様子が、座席の間からちらちら見えて、なんとなくいやな気分。 (エコノミー席で、○○○○の高級時計買うなんて そのアンバランスが、やっぱ日本人だよなぁ・・・まっ、関係ないけどさ。 それにしても私の隣り、空いてるけど・・・いいのかなぁ) もともと誰もこないのなら3人用の席は、真中が開いてるはず。 しかし、今回は私が真中・・・ (どんな人がくるのかなぁ)

狭い飛行機の中において、その十数時間を快適に過ごすには、 <隣りの人は、どんな人か?>が、重要なキーワードになる。
パック旅行などで、友人や、グループと来ているときは、 出来るだけ隣り合う席か、近くの席にしてもらえる・・・ 窓側の席というのは、皆無に等しいが・・・
1人旅・個人旅行の場合はやはり<隣りの席>の存在が気になる。 男性?女性?オヤジ?オバタリアン?子供? それとも、すんごくステキなイタリアーノ? 出来ればそうして欲しい・・・。

離陸の時刻がせまってくる。 隣りの席に期待と不安。 (神様、お願い!どうか臭い、酒癖の悪いオヤジではありませんように・・・ なるべく外人の男の子がいい・・・) 自分の語学力とかそいうことは,この際一切忘れて とにかく限りなく快適に過ごす為の<心地いい空間>を求める自分がいる。 隣りの席への期待感と、旅の思い出に浸りながら、 最後の景色を見ていると・・・・。
”ドサッ” 隣りの席に、荷物を置く音がした。
白ワインとリンツのホワイトチョコレートのはいった免税店の袋。 その人は、その中からチョコレートだけ取り出して、 あとは天井の荷物収納に入れる。 そしておもむろに、私の隣りの席についた。 (ラッキー!外人の男の子だ!しかも、イイジャン・・・) このとき、少し語学力の乏しい自分を悔やんだ・・・ 旅先でも、語学力の乏しさは悔やんだが、 旅行をするにあたり、意思疎通なら少しは出来る程度の語学力について さほど<オシイジャン>と、いう気持ちを味わう事はなかった。

しかし、この時点では、完全に<オシイジャン>という気分。 (この人は、絶対に外人で、とにかく日本語以外の言葉を話して、 京都とかに観光で行くんだろうなぁ・・・。 日本の反対側は、どうしてこう麗しい方が存在するんだろう。 やっぱ、もう少し自己アピール出来る語学力が必要だな!! 英語・・・かぁ・・英会話習っちゃおうかなぁ・・・それよりイタリア語? それにしても、遅いな?この飛行機。いつ飛ぶんだろう・・・)

離陸時間はとっくに過ぎている・・・ 隣りの彼もイライラしている様子。
そして、先ほど取り出しておいたホワイトチョコレートを食べだした・・・
「タベル?」 (はっ?タ、タベル?食ベルゥ?日本語?)
私は、スマートに出された、そのホワイトチョコレートを、貰った。 (なんか特別におししい・・・) 「日本語が、話せるんですね?」 そのチョコレートがきっかけで、延々おしゃべりの始まり。

彼は、フランス人とモロッコ人のハーフで、日本では2年間働いていたという。 さらに、ワインも加わり私たちの会話は、絶好調・・・ 機内のクルーに、フィアンセと間違われる程、話が盛り上がる・・・
話の中で驚いた事は、彼が7ヶ国語話せると言う事だった。 それもアラビア語のような、特殊な文字を書く国の言葉。 7ヶ国語習得のきっかけについて、興味津々の私。 だって、日本では、英語の語学力の検定試験での点数が どうのこうのと、いったところ止まりだから・・・

彼に聞くと、仕事で必要ということもあり、 その国に住み、自分で勉強し学校に通い習得したとのこと。 当たり前の、返答だった。 「努力したのも分かるけど、基本的に頭がいいのよね!?」 とは、言ったものの、返答された答えが、あまりにも当たり前なので、 現状の自分に、満足しきっている自分自身に、引け目を感じはじめた。 勉強する。とか、がんばる!と、いった、強い信念に突き動かされる ようなことは、ここ何年もしていないからだ。

それでも、そんなことはよそに、自分の生活は、年々洋風化。 海外旅行は当たり前、生活の中での輸入品の数々。 そして食事(イタメシやフレンチ)に至るまで、 日本での生活が、海外にどっぷり依存化している。 しかし、相変わらずの日本語オンリーの生活。 「外国に行かなかったら、外国の言葉なんて話せなくてもいいもん!!」 などと、まるで理にかなっていない主張を、してきたような気がする。

住んでる国は、日本です。とかじゃなくて、住んでるところは,地球です。 彼は、そいう感覚の中で生きている人のようだ。 だから、言葉を取得する事は、より自由に生きるためには、不可欠なもの。 国や言葉を意識しなくて、自由に生きていく事を意識している人。 私は彼の話から、言葉の中に潜む<可能性>を感じた。

話の内容自体、特別なものではないのかもしれない。 しかし、同じ内容でもテレビや本で、聞いてもピンとこない。 今、隣りにいる普通の外人の男の子が、実際にそいう感覚でいる。 これは、自分とかけ離れたものではなくて,現実のことなんだ・・・。

旅に出ると、自分の価値観を改めて考えさせられることがある。 圧倒される大自然・美しい景色・おいしい食べ物・思いがけない人との交流 確かに旅には、お金では買えない価値が存在する。 旅は誰にでも、<新しい発見をさせてくれる力>を与えてくれる。
そして、たった数十時間かもしれないけれど、 機内での隣りの存在も、旅での出会いなのだ。 この出会いも、お金では買えない大切な出会いなのである。 旅に出ていなかったら、一生出会わなかったかもしれない。 偶然を偶然と片づけるのは、もったいないと思う。 もっと出会いを楽しもう!旅を楽しもう、そして人生も!!

彼とは今でも友達で、メールのやり取りをしている。 日本語とフランス語と、英語のミックス。 モロッコにいる彼は、「イツデモ アソビニ キテ クダサイ!」 と、書いてくれる。
今、私はモロッコ行きに、胸を膨らませている。 新しい出会いが、新しい世界へと私を導いてくれた。

つれづれなるままに旅日記

No.019


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