“一度は行ってみたい世界遺産”で、常に一位に挙げられる遺跡「マチュピチュ」。南米ペルーが誇る世界遺産の中でも最も人気が高く、世界中から大勢の観光客が詰め掛ける。
切り立った絶壁の山々がそそり立つウルバンバ渓谷の山間、標高2,280mの頂上に忽然と現れるマチュピチュ遺跡。
険しい山の頂にあることから、『天空都市』、『空中都市』などといわれ、この遺跡が砦=要塞であったともされているが、その本当の姿は未だ謎に包まれたままだ。
マチュピチュ/Machu Picchuは、現地の古語であるケチュア語で「老いた峰」を意味し、すぐ背後に「若い峰」を意味するワイナピチュ/Wayna
Picchu(Huayna Picchuとも言う)があることから、遺跡のある峰は古くからあったと推測される。
発見当時の荒廃ぶりからか古代遺跡のように思われるが、この遺跡が造られたと推測される時代=インカ帝国が栄えたのは13〜16世紀半ば頃までと、それほど古いわけではない。マチュピチュ遺跡は、帝国が衰退の一途を辿ることとなる15世紀半ば頃のものとされている。
マチュピチュでは最盛時、約750名ほどの人々が暮らしていたことが近年の調査結果でわかってきたが、人々はある日を境に忽然とこの場所から姿を消したとされている。
そのままこの場所はこの世から忘れ去られ、草木が建造物を覆いつくして破壊し、廃墟となっていった。そして、16世紀にこの地方を掌握したスペイン軍にも発見されることはなかった。その後、1911年米歴史家ハイラム・ビンガムが古インカ道の調査を行っている時、偶然発見したとされている。発見当時の遺跡は、覆われた植物によって崩壊が進み、全容がまったく見えなかったという。
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マチュピチュへ向かう展望列車「ビスタドーム」
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遺跡はその後、世界各地の専門家らによる発掘調査が繰り返されることとなる。
数々の調査の結果、マチュピチュが造られた目的として最もよく知られているのは、インカの人々が押し寄せてくるスペイン軍から逃れるために作ったという説や逆襲の作戦を練るために作った秘密都市説などがあるが、現在では山頂という太陽に近い場所で、太陽暦を利用した天体観測や作成が行われ、宗教的な意味合いが濃かったとされる説が有力になっている。
しかし、どの調査結果を用いても説明しきれず、未だに解明されていない部分が多く残る謎の遺跡として、世界中の人々の関心と興味を惹きつけているのだ。
編集部では独自に、マチュピチュに対する以下のような6つの『謎』を挙げてみた。
マチュピチュはインカ時代の遺跡とされるが、実際はプレ・インカ時代(インカ以前の時代)の建物の上に建てられたものであるという説も否定できない。では、最初に建造されたのはいつで、一体誰が何の目的で造ったのか?
「山頂という太陽に近い場所で、太陽暦を利用した天体観測や作成が行われていた」という有力説。ならば、なぜマチュピチュ遺跡のある峰よりも高いワイナピチュ頂上に建造物を造らなかったのか?
最近の調査で地下から焼跡が発見されたことから、インカの人々がスペインの手に渡らぬようにと自ら火を放ったとされる説が浮上。しかし、石造りの建造物を完全に焼払うのは不可能。ならば、なぜ、壊してしまわなかったのか?
遺跡から発掘された人骨から、大人から子供まで家族単位で暮らしていたことが判明。天体観測や宗教的な意味合いで造られたのだとしたら、小さな子供を抱えた家族で住む必要があったのか?
明らかに文明や生活スタイルの違う民族の人骨も発見されていることから、異なる民族が一緒に平和的に暮らしていたというが、そのことが意味するものは?
ワイナピチュに太陽が当る時、頭に羽飾りをつけたインディヘナの顔に見えるという。これは、単なる偶然なのか?それとも意図的に造られたものなのか?
(※いつ、どのように見えるか?等の詳細は、会員ページ内で詳しく説明しています)
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