動物たちを守るために保護区にする ~エコレポ「オーストラリアの野生動物保護」

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 エコナビで連載中のコラム『オーストラリアの野生動物保護』、Vol.4 「動物たちを守るために保護区にする」が先週アップされました!

 オーストラリア北部のトップエンドと呼ばれる地区にあるウラン鉱山と野生動物の問題について取り上げています。この地区の特異な自然と野生動物を保護するためにオーストラリア政府がとった対策、野生生物保護法や国立公園指定までの経緯なども、ざっとわかるように解説してみました。

 本来なら国立公園の一部となるべき鉱山地区に生息する希少な最小種のワラビーを通し、カカドゥ国立公園誕生の背景やこの地区が抱える環境問題について、ちょっとだけでもご理解いただけたら嬉しく思います。

豊かな自然と動物たちが棲む場所を国立公園に指定し、保護区として開発を不可能にする、そして世界遺産として保護しようとするオーストラリア。その姿勢は素晴らしいものです。その一方で、一度壊されてしまった自然は簡単には元に戻りません。動物たちにとって棲みにくくなった環境は、そう簡単には修復できない…ということを、私たちは肝に命ずる必要があるのではないでしょうか。

★エコレポ・オーストラリアの野生動物保護 Vol.4「動物たちを守るために保護区にする

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Miki Hirano平野 美紀 
自然に魅せられ、6年半暮らしたロンドンからオーストラリアへ移住。トラベル・ジャーナリストとして各種メディアへの執筆、ラジオ/テレビ出演などで情報発信しながら、メディア・コーディネーターや旅行情報サイトの運営も。目下の関心事は野生動物とエコ。シドニー在住20年以上。詳細なプロフィールはこちら。
執筆依頼、取材代行、メディア・コーディネート等、承ります。お気軽にお問い合わせください。

続)放射能と狂牛病の奇妙な関係

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 昨年7月に、「チェルノブイリ原発事故(放射能)と狂牛病の奇妙な関係」について触れたが、その後もいろいろと狂牛病に関して調べていたら、興味深い事実が次々とわかってきた。

 まず、ひとつめは、狂牛病(mad-cow disease)というのは、日本の厚生労働省なども認めているように「1986年に英国で発見」されたことになっているが、実はこれ以前にも、「へたり牛」と呼ばれる狂牛病にかかった牛と同様の症状が出ていた牛が、まったくいなかったわけではないということ。「へたり牛」とは、脳神経が侵されてちゃんと立てなくなり、へたったように座り込んでしまうことから名づけられたものだが、こうした症状を発症した牛は、1986年以前にも発症ケースは少ないものの、いたのだという。

 そして、それはイギリスだけでなく、アメリカでも見られていたということ。ちなみに、アメリカにおける狂牛病感染例は4例しかないことになっているが、この「へたり牛」に関しては、アメリカ国内で初の狂牛病が確認される以前からあり、この肉が市場に流通し、度々問題にもなっている。このあたりのことについては、(できたら)また回を改めてご紹介したいと思う。

 では、なぜ1986年に英国で発見された、ということになっているかというと、それは、この年を境に爆発的に増え、「狂牛病=mad-cow disease」と命名されて、正式に認められたからだ。ここで再度繰り返すが、1986年はチェルノブイリ原発事故が起こった年である。

 ※「mad-cow disease(狂牛病)」と「BSE」は同じもの、そして、「foot-and-mouth disease(口蹄疫)」も同様と考えていい。その理由はこちら。口蹄疫は、口蹄疫ウイルスの感染によって発症すると言われ、狂牛病はプリオン異常が引き起こすと考えられているが、狂牛病のプリオン異常については確定的な証拠はまだない。

 そして、二つめと三つめは、放射能と狂牛病の関連性をさらに強く示唆する以下の事実。

狂牛病を発症した牛はチェルノブイリ事故の翌年生まれが多い

 チェルノブイリ原発の事故が起こったのは、1986年の4月。英国で狂牛病が発見された(認定されたというべきかも…)のは、同年11月。その後、数年間で爆発的に増加した。しかし、最も多くの牛が発症したピークは、それから6年後の1992年から1993年にかけてだそうだ。

 九州大学の調査によると、「狂牛病を発症した牛の誕生年を調べると、1987年に誕生した牛が最も多いことが判明した」とある。つまり、チェルノブイリ原発事故の翌年に誕生した牛が、狂牛病を発症しやすかった、ということだ。

 ちなみに、肉用牛の妊娠期間は、平均285日(280~290日)間(参照)。母牛は妊娠期間中に原発事故に遭い、被曝したであろうことが示唆される。また、直接事故による被曝でなくとも、放射線量の高い時期に妊娠していたことは事実だろう。

 上記のことから、ピーク時が1992~1993年だとすると、産後すぐに発症するよりも、生まれてから5~6年後に発症するケースが多いということになる。そういう意味では、狂牛病がもし原発事故等による放射能と関係があるとすれば、他の放射能との関連性が疑われる甲状腺疾患や癌などと同様、本体または母体(妊娠期)の被曝から数年後に発症するケースが多いといえるのかもしれない。

 また狂牛病関連では、原発事故に右往左往している間に、来年初めにも、日本の牛肉に対する輸入規制が緩和されることになった。BSE(狂牛病)対策として現在実施されている輸入規制では、月齢「20カ月以下」の牛に限られているが、これを「30カ月以下」に緩和するという。(参照:牛肉の輸入規制緩和 BSEの不安拭えるか

福島原発事故後にも狂牛病が発生

 福島原発事故から約1年経った2012年4月、アメリカ西海岸のカリフォルニア州の乳牛に狂牛病=BSE発症が確認された。(参照:カリフォルニア州乳牛で狂牛病確認、流通網に入らず-米農務省アメリカで6年来初めてのBSE 非常に稀な非定型BSEというが徹底的検証が必要

 そして、この牛は、これまで狂牛病の感染経路とされてきた「汚染された動物性飼料」からの感染ではないという。以下、CNNの日本語ニュースより該当部分を抜粋。(参照

BSE感染はカリフォルニア州中部の乳牛で確認された。米当局によると、感染牛は人間用の食肉の処理工程には入っておらず、感染源は汚染された動物性飼料ではないとみられる。

 BSEは大抵の場合、肉骨粉などの動物性飼料を通じて牛に感染する。しかし農務省によれば、今回確認されたのは特異な形態のBSEで、飼料汚染が原因ではないようだという。

この記事で最も興味深いのは、感染経路が「飼料ではない」、と米当局が言明したことだろう。では、何が原因だったのか?については、その後の発表はないままに、この問題もウヤムヤになってしまった。

 また、狂牛病ではないが、2011年半ばに欧米で「スーパーサルモネラ菌」が流行、8月にはアメリカで死者がでる騒ぎとなった。このスーパーサルモネラ菌の発病は3月に遡ることができる、と英デイリーメール紙は伝えている。(参照:One dead in turkey salmonella outbreak across US

 ちなみに、ここでも書いたが、イギリスで狂牛病騒動が起きた際も、サルモネラ菌が流行した。

 一方、原発事故と狂牛病との関連性に目を向けるとどうか? これは、もう既にご存じの方も多いと思うが、福島原発から放出された放射性物質は、偏西風に乗り、事故から数日後には、既にアメリカ西海岸に届いていた。このことは、オーストリア気象地球力学中央研究所(ZAMG)のシュミレーション・データを見てもよくわかる。(※画像クリックで本サイトへ飛びます)

福島第一原発から放出された放射能拡散の様子 -オーストリア気象地球力学中央研究所(ZAMG)のデータ
 また、2011年3月17日にアメリカCBSで放送されたニュースでも、翌日の18日には西海岸に到達する、と報道している。

 チェルノブイリ原発事故と共にイギリスで狂牛病が確認され、その後数年で爆発的に増加。イギリスをはじめとする欧州各地で被害は拡大し、死者を出すまでになった。そして、今度は福島原発事故が起き、その1年後にアメリカで狂牛病が確認された…という事実。福島原発事故の数年後は、一体どうなっているのだろうか?

<追記2012.11.7>IAEAの『NUCLEAR GLOSSARY(核用語集)』に「BSE」が入ってるのも興味深い。

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オーストラリアにおける反原発・反核運動

70年代のビクトリア州での反核デモ行進(メルボルン大学所蔵)
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 かつて、イギリス領であったオーストラリアは、1950年代から1960年代にかけて、イギリスによる核の実験場にされてきた暗い歴史がある。当時、まだ情報伝達方法がほとんどない僻地での実験は、一般市民に知られることはほとんどなかった。

 しかし、実験の内容を知らされることなく、無防備に実験に接していた豪兵士らが健康被害を訴えるなどし始め、表沙汰となり、市民による本格的な反核運動が始まったと言われている。1957年に行われた世論調査では、49%が核実験に反対、39%が好意的に受け止めている、という結果だったそうだ。(イギリスによる核実験で最も被害をこうむっていたのは先住民族アボリジニだったが、この頃はまだアボリジニへの関心が持たれることは皆無に等しかった)

最初の原発反対キャンペーン

 Anti-nuclear movement(反核運動)が、オーストラリアで最初に大きな市民運動となったのは、1969年にニューサウスウェールズ州で一旦認可された「ジャービスベイ原子力発電所」建設計画の時。ジャービスベイ住民らが『原発反対キャンペーン』を展開、市民が率先して環境問題を絡めた勉強会などを開き、知識を高めたそうだ。

 そうした反原発の波が各地へ伝播。民意を受けるような形で、首相が反原発派へ交代し、火力より原子力のほうがコストが高いと、財政上の理由を持って原発計画は白紙に戻された。

活発化する反核運動

 70年代に入り、南太平洋におけるフランスの水爆実験への反対行動が活発化、さらに、ウラン鉱山周辺での環境汚染に対する抗議行動などが加わり、オーストラリアの反核運動はより大きなうねりとなっていく。また、1972年末の総選挙で反原発の労働党が勝利したことで、世界的にも「原子力の平和利用」を推進する立場を明確にした。その後もこの流れが衰えることはなく、こちらのエントリーで書いたように、再び持ち上がった本格的な「原発建設」の動きにストップをかけるほど、今では市民の反核意識はより一層強固なものになっているといえる。

 こうした市民の根強い反核精神の表れは、日本の『原爆記念日(原爆の日)』にも強く感じることができる。毎年この日に合わせ、オーストラリア各都市では、被曝者の追悼と戦争への反対と共に、反核を訴えるラリー(デモ行進)や集会が行われている。(例:パースのHiroshima and Nagasaki Day、シドニーのHiroshima Day Committee)それに引き替え、日本は当事者でありながら、主には広島と長崎の市内で追悼式が行われる程度ではないだろうか。

核の危険性を科学者や専門家らが大々的に告示

 上述のジャービスベイ原子力発電所への反対キャンペーンが行われた際、科学者ら専門家で結成する連合より、生命を守るという観点から「原発=核の危険性」が大々的に報告されたという。それによって、市民は「核の危険性」を強く認識し、自発的に情報収集や勉強会を開くようになった、と言えると思う。

 その後も、科学者および専門家による勉強会や講演会は各都市で開かれ、その度に大勢の一般市民が集まっている。ちなみに、2006年にメルボルン大学で開かれた「Does nuclear power have a place in Australia’s energy mix?(オーストラリアのエネルギー政策として、原発は可能性があるか?)」という講演会には、温暖化の議論に拍車がかかっていたこともあり、200人以上が詰めかけたそうだ。

 こうした専門家の知識を一般市民と共有する=「知」の共有という意識は、オーストラリア国民に根強くある『フェア・ゴー(fair go)』や『マイトシップ(mateship)』の精神とも無関係ではないように思う。これらについての説明は、オーストラリア政府が作成した日本語パンフレットから、該当部分を以下に抜き出してみる。全文はこちらで。

<フェア・ゴー精神とは>

オーストラリア人は機会の平等と、よく「fair go」と言われる公平の精神を重視します。これは
誰かが人生で達成する事柄はその人自身の才能や仕事、努力の結果であるべきで、出生の偶然や
えこひいきによるべきものではないという意味です。
オーストラリア人には、相互尊重、寛容、公平な態度を大切にする平等主義の精神があります。
これは誰もが同じであるとか、皆が等しい富や財産をもつという意味ではありません。これが目
的とするものは、オーストラリア社会に公式な階級の区別がないようにすることです。

<マイトシップ精神とは>

オーストラリアには「mateship」という強い仲間意識の伝統がありますが、これは人々が特に困ってい
る人を自発的に助けることを意味します。仲間(mate)とは友人であることが多いですが、配偶者やパー
トナー、兄弟姉妹、息子や娘、友人であることもありますし、まったく知らない人である場合もありま
す。この国には社会奉仕やボランティア活動を行う強い伝統もあります。

注意)もちろん、これらが完全に全国民に根付いているわけではないですし、だからといって、差別がまったくないとか、すべて平等だというわけではありません。実際この国で暮らしていると、そうではない部分ももちろんあり、理不尽なこともたくさんあります。「概ね、こうした傾向にある」ということで、ご理解いただければ幸いです。

市民の反核運動を支えた2人の医師とウラン採掘問題

 こうした市民の強い反核精神を支えたのが、放射能の危険性を人体への影響面から訴える医師たちの存在といえそうだ。とりわけ、日本でもお馴染みになった小児科医のヘレン・カルディコット氏とメルボルン大でも教鞭をとる医師のティルマン・ラフ氏は、オーストラリア反核運動の先導者でもある。この2人は、福島原発事故に際しても、すぐさま声明を出してくれているので、ご存じの方も多いかと思う。

 私たち人間の体と健康についてよく知る医師たちが、核=放射性物質の人体への影響を懸念し、その危険性を訴えるという直接的な行動をとることにより、市民の関心をより一層引き付け、反核の大きな原動力になったことは、いうまでもない。

 また、反原発運動の流れの中で、核の原料となるウランを輸出するオーストラリアこそ、ウラン採掘を止め、率先して核廃絶に努めなければならないという声も、国内では年々大きくなっている。この市民の反核運動を支えた2人の医師、そして、ウラン採掘に関する問題については、また回を改めてご紹介したいと思う。

州法で民意を反映、反核・反原発を明確に

 こうした流れを受け、1986年にはニューサウスウェールズ州で「URANIUM MINING AND NUCLEAR FACILITIES (PROHIBITIONS) ACT 1986 /ウラン鉱山、原子力施設(禁止事項)」が制定され、ウラン探査・採掘と原子力施設の建設を州法によって規制。これをきっかけに、ビクトリア州も同様の州法を制定。タスマニア州とクイーンズランド州でも「原発及び核施設、放射性廃棄物を阻止する州法」を制定した(参照)。(西オーストラリアでも「ウラン探査・採掘規制法」があったが、2008年に撤廃。現在は採掘事業を後押しする形になっている)

 アメリカ同様、連邦制で各州が大きな権限を持つオーストラリアは、このように各州が独自に核・原発を規制する州法案を制定し、州の民意を示す形となっている。

【参考】 -オーストラリアにおける反核運動の成功を紹介

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脱原発と原発維持を考える

美しい日本を台無しにする放射能汚染
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 冷静沈着で才女と言うイメージ(あくまでもTVなどで拝見する限り)の有名ジャーナリスト氏が、先日ツイッターで以下のような発言をしていたので、驚いた。

原発に関してはリスクを最大限に考えろというのに、脱原発のリスクをあまり考えていない人が少なくない。本気かつ現実的に脱原発を求めるからこそ、そのリスクやデメリットを見つめ、どう解決し乗り越えていくか考えないと。原発なくなったけど、経済どん底、凍死者餓死者続出、というのじゃ困るし (Tweet

原発やめても誰も何も困りませんという極端な脱原発安全神話は、原発安全神話の裏返しに過ぎない、という気がする。脱原発を目指せばこそ、そのリスクとそれに対する対応策や備えをしっかり考えようじゃありませんか…というと経団連の回し者みたいに言われるのはほわい? (Tweet

 どちらのツイートも50人以上にリツイートされ、ツイッター上ではかなり拡散されたと思われる。この方はこれ以外にも再三、「放射能はたいしたことはない。心配には及ばない」的な発言を繰り返す原発推進派といわれる大学教授らに共感の意を示している。

脱原発=原発を再稼働させないリスクとは何なのか?

 まず疑問に思ったのは、「原発なくなったけど、経済どん底、凍死者餓死者続出」というのは、ありえるのか?ということ。これは結論からいくと、「原発あるけど、事故が起きたら経済どん底、放射能で死者続出」というのが正解なのではないだろうか。

 実際、今回の福島原発事故で多くの国々が日本製品を(放射能汚染の懸念から)拒絶したり、安全性の確認を求めるなどの措置を講じている。これが経済への影響がないか?と言われれば、「ない」とは言い切れないはずだ。また、国内に流通する食品も汚染を心配し、放射能測定結果を気にしながら、買い控えたりする人も多くなった。これらが、経済の停滞ではなく、何だというのか。

 原発事故が起きて死者が続出したか?と聞かれれば、現時点では顕著な現象として見られないかもしれないが、今後はどうなるかわからない。放射能(放射線被曝)による健康への影響は、医療被曝も含め、「ある」ということはわかっている事実だ。そもそも、これほど大規模な放射能汚染は、チェルノブイリ原発事故以外に地球上で起きたことはなく、その影響はいまだによくわかっていない。こんなことを言うと、「放射能は心配ない」と主張する人たちは、これを逆手に「ほら、健康被害が出るかどうか、わからないじゃないか」というのかもしれないが、被害が出てからでは遅いのだ。わからないからこそ、無意味な被曝は避ける必要がある。常に最悪の状態を想定する…それが『リスク管理』というものだ。

 とはいえ、現時点で原発を稼働させない=代替の発電方法での電力供給に移行する場合に、(電力)創出の不安定さなどから、一時的に経済が落ち込む可能性もないとは言えない。しかしそれは、あくまでも一時的であり、代替発電による安定供給が確立されるまでの間だ。また、それに向かって進むことで、新設する再生可能エネルギーの発電施設や従来の火力・水力発電所の整備拡張などで、コスト増になることも否めないだろう。脱原発を主張する人々も、それに伴う増税や電気料金の値上げ、多少の不便は覚悟する必要がある。

経済活動は民が支えるもの

 上記のような脱原発のリスクを鑑みても、原発を維持するリスクのほうがはるかに大きい。原発は、一旦事故を起こせば、放射能がまき散らされ、国土の一部は半永久的に使えなくなる。そして、放射能汚染された土地で農産物や製品を作っても、人々が不信感を抱いて買わなくなることは、今回の福島第一原発事故を見ても明らかだ。こうした事態のほうが、よほど経済ダメージも大きく、人々の精神的ダメージも計り知れない。その上、放射能による健康被害が続出し、国を構成する民(国民)に支障がでたら、経済活動どころの話ではない。国の存続にかかわる問題だ。

 『経済』とは、社会の生産活動のことだ。その生産活動を支えているのは民である、ということを、原発維持を主張する人々は忘れている。

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チェルノブイリ原発事故(放射能)と狂牛病の奇妙な関係

狂牛病発症は牛たちが被曝したせい?
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 チェルノブイリ原発事故から25年。事故発生は1986年4月26日、その頃私は日本にいたが、その6年後の1992年、英国ロンドンの地に降り立っていた。

 今から思えば、相当放射能汚染された物を食べていたんだろうなぁ…と考えつつ、あの頃の食生活を思い出しながら、あることに気が付いた!

 ロンドン滞在中には、その後日本でも問題になる「BSE(牛海綿状脳症)」こと狂牛病騒動が起き、牛肉を食べる機会は限りなくゼロだったし、同時期にドイツでの豚肉サルモネラ菌蔓延等もあって、鶏肉ばかり食べていた。今思い出しても、かなりヒモジイ感じの食事だった(苦笑)。

 イギリス国内で最初の死亡者が出た「狂牛病」。その後、死者は増え続け、確か100名以上に上ったと記憶している。当時、英国政府は国内で飼育されているほとんどの家畜牛を焼却処分し、病気の蔓延を防ごうとしていた。思い出せば当時、英国内では牛肉がほぼ一斉にスーパーから消え、代わりにオーストラリアから輸入された「エミュー」の肉が並んでいた。そういえば、あの時初めてエミュー肉を食べたのだった。

日本でも宮崎をはじめとする各地で「口蹄疫」が流行ったことがあるが、「狂牛病」=死者が出た=人間にうつる、というイメージを植え付けないための情報操作のようにも感じる。これは単に口蹄疫は人間にはうつらないが、狂牛病はうつると一般的にはいわれているからだ。そう思う根拠は、イギリスで騒動になった頃も最初は「foot-and-mouth disease(口蹄疫)」とされていたが、死者が出た頃から「mad-cow disease(狂牛病)」と変わったように記憶している。

狂牛病=BSEとは?

 狂牛病=BSEは、スクレイピーという神経を冒す病にかかり、プリオン異常が起こった羊の残骸を餌として与えたことから、牛に感染。本来は人には感染しないと言われていた羊の特有の病だったはずのスクレイピーが人間に感染したと言われている。

 そして、こうした経路でBSEにかかった牛が、さらに肉骨粉となり、家畜飼料として世界中に散らばり、各地で狂牛病が発生した、と信じられている。(注:オーストラリア、ニュージーランドは輸入していないため、発症していない)

 「狂牛病」騒ぎの発生源がイギリスだったことから、当時の発症元はイギリス国内だけと思いがちだが、実は、イギリスに比べると数は少ないものの、イギリスで最初の発症者が出たのとほぼ時を同じくして、ヨーロッパ各地で発症していたのだ!(参考資料 , ドイツのレポート, ポーランドのレポート

 ここで、ふと、あることに気が付いた。それは、「チェルノブイリ原発事故後に、イギリスも放射能汚染されたのだから、狂牛病はそれと関係ないのだろうか?」ということ。

遺伝子の異変によっても起こる狂牛病

 まず、狂牛病について、もう一度おさらい。Wikiに興味深い記述を発見した。(参照

2008年9月11日、米国農務省(英語略:USDA)動物病センター(英語:National Animal Disease Center/UADC)で研究を行ったカンザス州立大学のユルゲン・リヒト(Jurgen Richt)教授は、BSEの病原体である異常プリオンは外部から感染しなくとも牛の体内での遺伝子の異変によって作られ、BSEを発症する例につながると発表した。この発表は2006年アラバマ州でBSEを発症した約10歳の雌牛の遺伝子の解析から異常プリオンを作る異変が初めて見つかったことによる。人間でも同様の異変が知られ、クロイツフェルト・ヤコブ病を起こす。

つまり、外部から感染しなくても、遺伝子異常で起こる可能性があるということ。

 ということは、やはり、チェルブイリから約2000キロも離れたイギリスまで届いたという、原発事故由来の放射性物質による可能性も否定できない。放射性物質による被曝で遺伝子異常が起こる可能性があることは、よく知られている事実だ。

チェルブイリ原発事故と狂牛病発生時期は重なるという事実

 さらに様々な文献をあたっていて、興味深いものを発見した!

 それは、ハンガリーのブタペスト技術経済大学Budapest University of Technics and Economyの博士課程の学生が2000年に発表した研究論文だ。原文のまま、該当箇所を抜き出してみる。

The Chernobyl accident occurred at 01:23 hr on Saturday, 26 April 1986, when the two explosions destroyed the core of Unit 4 and the roof of the Chernobyl reactor building.

In Britain, the first cases of the Mad Cow Disease can be dated back to 1986, in the same year when the Chernobyl accident occurred.

 まず、チェルノブイリの原発事故で炉心が破壊され、2度の爆発が起こったのが1986年4月26日土曜日の1時23分であることに触れ、イギリス国内で最初の「狂牛病」が発症したのが同じ1986年に遡ることができると指摘している。このことが示すのは、私が在英時代に狂牛病が騒動になったのは初の死亡者が出たからであって、実はその前から発症していた患者はいたということ。裏を返せば、1986年以前には発症していないということだ。

The Chernobyl accident occurred 15 years ago, nevertheless the caesium-137 (half-life: 30 years) radionuclides and strontium-90 (half-life: 90 years) radionuclides could be the most likely candidates for causing the MadCow Disease in cows and the Creutzfeldt-Jakob Disease in humans.

 そして、チェルノブイリの事故は15年前ほど前のことだが、セシウム137(半減期30年)やストロンチウム90(半減期90年)といった放射性物質が大量に放出されたことに触れ、それらが狂牛病および人間に発症するクロイツフェルト・ヤコブ病を引き起こす有力な候補となる、としている。

 つまり、チェルノブイリ原発事故由来の放射能で牛たちが被曝したことで、遺伝子異常が起き、BSE=狂牛病が発症したのではないか?ということになる。

放射能という目に見えない敵が放つ、形を変えた攻撃

 この研究論文では「科学界は、チェルノブイリ事故の影響を一部分しか究明しておらず、こうした知らない事実が多いにもかかわらず、英国政府もそうした事実を心配もせず、調査しようともしていない」と指摘する。この論文以外にも、調べてみると「狂牛病とチェルノブイリ事故の関連性は否定できない(明らかになっていない)」とする意見もかなりあるようだ。

 チェルノブイリ原発事故は、旧ソ連下にあったということもあり、事故の検証も完璧にはできていないばかりか、放射能が人間や生物、植物などの生態系に与える影響も、いまだよくわかっていない。しかも、突き詰めて調査研究もできていない(事実は「公表されていない」が正しいかも?)…というのが今の現状なのである。それは、そうした調査研究ができるだけの国力のある国のほとんどが原発推進国である、ということと無関係ではなさそうな気がする。

 …と、ここまで書いて、ピンとくる人もいると思うが、今回の福島の原発事故により、今後、狂牛病のような(もしくはそれ以上の?)わけのわからない病気が蔓延する可能性もあるということ。また、上述のWiki引用文にあるように「人間でも同様の異変が知られる」ということも、一応留意しておくべきだろう。放射能という目に見えない敵が仕掛けてくる攻撃は、後で形を変えて現れることも否定できない……ということを忘れてはならない。

続)放射能と狂牛病の奇妙な関係 (2012 年 9 月 27 日付け)

【参照】

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福島原発事故は未知の領域、被爆の危険性に関する知識も不十分

福島原発第3号機の爆発とよく似た核実験の爆発瞬間画像
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 米の原子力専門家アーニー・ガンダーセン氏が4/26に公開されたビデオで示した「3/14に起きた福島第一原発3号機の爆発が“爆轟(ばくごう)”であったこと」が、ようやく今日(6/6)になって日本の新聞でも報道された。(該当記事

 この記事によれば、財団法人エネルギー総合工学研究所の解析によって、この事実が分かり「1号機より破壊力が高い爆発が発生した」とは認めているが、「発生した水素の量の違いで」とし、あくまでも“水素爆発”として片付けたいらしい。

 しかし、先のガンダーセン博士も、英の科学者(電離放射線の権威)クリス・バズビー氏も、「福島第3号機の爆発は、一種の“核爆発”」と見ている。バズビー博士は4/12のテレビ出演で、すでにこのことについて指摘している。(該当ビデオ,参考記事)なぜそのように考えるか?について、「水素爆発では起こりえない閃光を伴う爆発=detonation(爆轟)が見られた点」をあげている。

 また、この爆発は格納容器の爆発ではなく、使用済み核燃料プールが空になり、即発臨界したためと見るのが妥当だ説明している。このことについては、このブログでも4/30の記事で解説しているので、そちらを参照のこと。(このページの画像は、バズビー博士の主張を再現したもので、福島第3号機とよく似た核実験の爆発の様子をとらえたビデオからの切抜き。元動画はこちら

独立系学者と御用学者の温度差

 私がガンダーセン博士らの見解が信用に足るとする最たる理由は、Independent(独立系)だから。これは、彼らが展開する理論はもちろん、その見解が正しいと支持するほうへ大きく傾く要因のひとつになる。学問、科学の研究にはお金がかかる。すると、どうしても資金提供者への見返りが要求されることになる。そうして癒着、都合の悪いことは言わない。公表しないという構図が出来上がる。これはしがない資本主義の悪の部分だ。

 その点、Independentの学者は、そうしたしがらみに囚われず、自由な発想、研究ができる上、発言の制約もない。つまり、この場合、原子力の悪い部分や公表されると困る部分に関して、何のためらいもない。本来、学問とはそうあるべきなのだが…。

★ガンダーセン博士は、つい最近(6/3)にも以下のような興味深いコメントを残している。Twitterのほうでもツイートしたけれど、こちらにも記載しておきます。このコメントのソース元や今後の速報などはTwitterで拾ってください。

  • 「福島の危険は我々の予想を超え長期に渡る。それは今の科学では足を踏み入れたことのない…核燃料が地面に横たわった状態で剥出しのまま過熱されている状態」
  • チェルノブイリよりも悪いという側に私はこれからも立つ。風が東京方面、南に向かって吹くことを懸念するのと同時に、もし余震等で4号機が崩壊するような事態となるなら、友人への私のアドバイスは“逃げろ”だ」
  • 「NRC(米原子力規制委員会)は、3号機の新たな問題に昨日初めて言及したが、底がブレイクアウト(崩落)し、汚染物質のすべてがぶちまけられることを懸念している。コア全体が突然落下する可能性もある」

度々修正される信用しかねるデータとチェルノブイリの教訓

 核のエネルギー量は、広島原爆の40~50倍といわれる福島第一原発(存在していたウラン量は、広島原爆の約300倍とも。さらに使用済核燃料の分を入れるとその量は膨大)(参考記事)。もし、本当に核爆発だとしたら、いや、仮にそうでないとしても、すでに3機がフルメルトダウン(全炉心溶融)しており、さらにもう1機もトラブル発生中で危険な状態なのだから、放出されている放射線物質の量は相当量あると見て間違いなさそうだ。それは、後になって上方修正されてばかりの数々のデータが裏付けている。(参考記事)…ちなみに、こうした発表はこれまでも何度となく修正されており、この数字すら信用できるものかどうかは不明。としか言いようがない…。

 また、矢ヶ崎琉球大名誉教授によれば、こうした状態で原発の上空100メートルから毎秒4メートルの風が吹いたとすると、1,500キロ以上に渡って放射物質が飛散するという。(該当記事)つまり、「日本中が汚染されたとみた方がいい」と、同教授は指摘している。

 チェルノブイリでは、(稼動中の爆発炎上という状況の差はあるけれど)2,300km以上離れたイギリスのウェールズ地方あたりまで飛散したそうだ。原発のあった現ウクライナ及び周囲の旧ソ連下の国以外で最も汚染された地域は、原発から1,600km以上離れたフランス、イタリア、スイス国境を挟んだアルプス地方だった。(参考記事)どちらも、農産物の出荷については慎重に検査を行ったそうだ。こうした事情からも、欧米の国々が福島の事故に重大な関心を寄せ、正確な情報収集に躍起になるのは当然といえる。

 そして、この事実から今、日本が学ばなければならないことは、「自分が現在住んでいるところは、福島県ではないから大丈夫」ということは決してない、ということ。まさに目の前に福島第一原発を抱える福島県は当然のこと、日本全土が危険にさらされていると認識したほうがいいということになる。

 放射線が怖いのは、それ自体が目には見えない、臭わないことだ。そして、すぐに障害が出るわけではないということも念頭に置かなければならない。チェルノブイリ事故における作業員の死亡者は28人だが、すぐに死亡した人だけではない。被曝から4ヶ月の間に、大量被曝による急性放射線障害で徐々に死亡しているのである。

 そして、周辺住民に症状が現れ始めたのは、事故後、5年後くらいから。地元の小児甲状腺癌発生率が事故前に比べ、10倍になったという。そして、今でも様々な放射線障害に苦しんでいる状況なのだ。

いまだよくわからない低線量被曝の危険性、健康への影響

 今回の事故の恐ろしさは上でも触れたように、原発作業員のようにすぐそばで大量被曝をする危険がなくとも、また、汚染が最も深刻な福島県下に住んでいるわけでなくとも、今も放射線物質がダダ漏れ状態の現状では、日本のどこにいても長期的な低線量被曝の危険があるということ。この低線量被曝の危険性、つまり長期的に低い線量の被曝をした際に受ける健康被害については、研究が進んだ現代においてもまだ、ほとんどわかっていないのだそうだ。(参考記事

 空気中に飛散する放射性物質だけでなく、降下して地面に付着したものも考えれば、農産物も危険だ。土壌に積もった放射性物質はやがて雨等によって地中に染み込み、農産物を含めた植物が取り込む。その植物を食べる動物、家畜等も放射性物質を取り込み、内部被曝することになる。また、大量に放出した汚染水のおかげで、地下水の汚染もおびただしい。汚染地下水は地中深くの水脈に入り込み、日本中の様々なところへ染み出してくる。このような状況では、日本で収穫、産出される食品のほとんどが汚染されていると考えるべきだ。

 マサチューセッツ工科大学環境健康安全室放射能防御プログラムのウィリアム・マッカトニー 副主任は、食べたからといってすぐに健康に被害がでるわけではないとしながらも「慎重を期するなら、その食品を食べない こと」と指南する。また、ノースカロライナ大学の疫学者スティーヴ・ウィング博士 は、微量であっても放射性物質が残留していることで、長期的重大な問題を引き起こすおそれがあると指摘。「原発から遠くなれば、1人当たり の被曝量は少なくて済むかもしれないが、被爆する人は多くなる」と言う。(参考記事

 とにかく、いまでもまだ、どの程度の期間、どれくらいの放射線を浴びたら、どうなるのか?ということが、よくわかっていない放射線被曝。わかっているのは、程度のほどは不明でも、健康に害を及ぼす有毒なものであることには間違いないという事実。このことを念頭に置き、甚大な被害を避けるために、可能な限り原発から遠くへ避難する。食品もできる限り遠くで収穫されたものを食べる。外出はできる限り避け、する場合には肌を露出しない、できればマスクを着用するなど、できうることはすべてやる。というのが、今出せる唯一の答えなのかもしれない。

※ちなみに、3月の事故以降「原発で核爆発はない」としていた京都大の小出裕章先生も、一度は「3号機は核爆発ではないか」という見解を示している。これは、5月に入って出てきた高崎CTBT放射性核種探知観測所のデータ(参考)を見て、「ヨウ素135が高い数値で検出されていることから、ウランの核分裂反応が異常に進んだという可能性」つまり、核爆発であった可能性を示唆したものだが(参考記事1記事2)、後に高崎のデータが修正(参照)された…という経緯がある。

About Me
Miki Hirano平野 美紀 
自然に魅せられ、6年半暮らしたロンドンからオーストラリアへ移住。トラベル・ジャーナリストとして各種メディアへの執筆、ラジオ/テレビ出演などで情報発信しながら、メディア・コーディネーターや旅行情報サイトの運営も。目下の関心事は野生動物とエコ。シドニー在住20年以上。詳細なプロフィールはこちら。
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原発被災地の子供たちに、通学不要なネット授業を!

ノーザンテリトリー・アリススプリングスの通信学校 School of the Air (画像:Wiki)
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 福島第一原発事故による放射能汚染が広がりを見せ、福島県だけでなく、周辺各県への被害が拡大しています。関東圏の農産物や遠くは静岡県のお茶などにまで、規制値を超える放射線物質が検出され、地元のものですら不用意に口にできない事態となりつつあります。

 今回の原発事故は間違いなくチェルノブイリ原発事故を超えており、個人的には、アメリカが日本在住の自国民を退避させる目安として出した「80キロ圏外への退避」が望ましいと思います。ですが、住まいや仕事など、様々な事情から、簡単には移住=疎開できないという家庭も少なくないでしょう。

 ですが、大人はまだしも子供への放射線被曝は、計り知れないリスクを伴います。放射線による被曝の危険度は、高年齢になればなるほど低くなり、成長期である赤ちゃんや子供が最も高いのです。それなのに、福島の原発から80キロ圏内の子供たちは、今この汚染がどんどん進む中でも学校へ通学し、授業を受けることを余儀なくされています。

 その上、政府は元々年間1ミリシーベルトとしていた子供への放射線被曝量を20ミリシーベルトまで引き上げ(参考記事 記事2)、さらには、子供たちが通う学校の校庭で高い放射線量が測定されても、「校庭の土の上と下を入れ替えれば、放射線量は大幅減できる」などと、気休めのような対策を打つのみ(参考記事)。

 さらには、「福島産の牛乳や食材は危険だという風評を払拭するため」と称し、学校給食に県内産物を使うことを提唱する大人まで出てくる始末…(参考記事)。これでは、子供たちは外部被曝のみならず、体内摂取による内部被曝まで促進させられ、ますます癌や白血病をはじめとする放射線障害(参考記事)が起こる確率を高めることに繋がります。

 放射線による体への不調は、すぐに出るものではありません。5年後、10年後…後から影のように忍び寄ってくるのですから、できる限り被曝を避けなければならないはずなのに……。

放射線被曝をできる限り避けるためのネット授業

 今回の原発事故のように、目に見えない放射線被曝という恐怖にさらされながら、閉め切りの校舎で授業を受けさせるのも酷ですし、そんなことをしても100%防げるわけではありません。何より、登下校時の被曝も心配です。本来であれば、80キロ圏外への退避=疎開が最も望ましいのですが、それが不可能な家庭の子供たちのために、義務教育である小中学校のインターネット経由による通信学習ができればと考えます。

 これは、当地オーストラリアでは比較的ポピュラーなスタイルのリモート学校『 SCHOOL OF THE AIR スクール・オブ・ジ・エア 』をモデルにしてはどうか?と思っています。

 広大な国土を有し、一部の都市部を除けば、ほとんど人間が住んでいないアウトバックと呼ばれる僻地が広がるオーストラリア。それでも、そんなところにも点々とファーマー(農家、アウトバック地帯では主に牛飼い農家)が住んでいます。隣の家まで100キロ以上、隣の村までは300キロ以上という家も少なくありません。

 こんなところの子供たちは、学校へ通おうにも遠すぎて、通学は不可能。ですから、通信学習で単位を取得し、通学生同様の学歴を取得するのです。

※オーストラリアのアウトバックについては、こちらこちらにも記事を書いていますので、ご参考に。

SCHOOL OF THE AIR スクール・オブ・ジ・エアの成り立ちと仕組み

 SCHOOL OF THE AIRは、上記のような過疎地の子供たちへ学習の機会を与えたいという思いから、1948年にアリススプリングスという一部のエリアで航空無線を使って始められ、その後、このケースをモデルに1956年から本格的に始まりました。そして、1960年代後半には、ほぼオーストラリア全土のアウトバック地帯へと拡大し、今日でも続けられています。

<SCHOOL OF THE AIRの仕組み>

  1. 地域のメインとなる町にスタジオを置き、先生はこのスタジオからカメラに向かって授業を開始。
  2. 生徒は各自宅で授業開始の準備。インターネットが利用できるところでは、PCを立ち上げて、先生から呼びかけられるのを待つ。
  3. 先生は生徒の誰が授業に参加しているか確認。(点呼のようなもの)
  4. 先生がスタジオで授業する様子をインターネット経由で配信。
  5. 先生は質問なども適宜投げかけ、生徒との交流を図る。
  6. 年に数回、子供たち同士が本当に生で顔をあわせる機会を作る。

 オーストラリアではまだインターネットのインフラが不十分なエリアがあるため、今でも無線やラジオで行われているところもあります。ですが、日本のようにインターネットのインフラが整っている国では、映像の送受信もできるネット授業が最も適した手段と考えます。この場合、必要となるのは、インターネットができる環境と授業をインターネット配信するスタジオ、そして各生徒が受信するPCのみ。

故郷との繋がりを絶たない「ふるさと補習校」

 また、このネット授業に加え、故郷とのつながりを断たない「ふるさと補習校」も合わせて行うのが理想です。これは、@assam_yamanakaさんとのTwitter上でのやりとりの中で出てきた案ですが、海外の日本人子女は、現地校に通いながら故郷=日本(日本語)を忘れないために、週末などに日本人学校=日本語補修校へ通わせる家庭が多くなっています。この補修校の発想を国内の「ふるさと」へ繋げるというものです。

 地元に留まる子供たちには、普段は自宅でネットを駆使した通信教育で学んでもらい、年に数回は疎開した子供たちも含め、放射能汚染が少ない安全な場所で定期的に「ふるさと補習校」を開催する。昔やっていた林間学校のようなものを想像してもらえば、わかりやすいと思います。この数日間は、これまで同じ学校に通っていた親しい友人達と再会できる懐かしい時間となり、とくに普段自宅学習の子供たちにとっては、思いっきり外で遊べる機会になるような、楽しいプログラムを教師の皆さんに考えてもらえればと思います。

 危険を冒しながら学校に通わせることを止め、各自宅で衛星通信(現在は衛星インターネットが主)による学習ができる、このSCHOOL OF THE AIRのような仕組みを日本でも確立させ、少しでも安心して学習できる機会を子供たちに作ってあげることが、私たち大人の役目ではないでしょうか?

【参考資料】

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自然に魅せられ、6年半暮らしたロンドンからオーストラリアへ移住。トラベル・ジャーナリストとして各種メディアへの執筆、ラジオ/テレビ出演などで情報発信しながら、メディア・コーディネーターや旅行情報サイトの運営も。目下の関心事は野生動物とエコ。シドニー在住20年以上。詳細なプロフィールはこちら。
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