もうひとつのパールハーバー ~知られざるダーウィン空襲/日本に攻撃されたオーストラリア

ダーウィン港(ポート・ダーウィン)
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1942年2月19日。ハワイ真珠湾攻撃から約2か月後、オーストラリア北部の港町ダーウィンは、旧日本軍による大規模な空襲を受けた。

このことを知る日本人は、どれくらいいるのだろうか?

この日以降、ダーウィンだけで64回、それ以外にもブルームやキャサリン、タウンズビル、モスマンなどのオーストラリア北部の町へ、日本軍による空襲が行われたが、この事実はほとんど知られていない。

2017年2月19日、ダーウィンは空襲から75年目を迎える。

75年の節目を迎えるに当たり、ノーザンテリトリー準州政府は昨年より「The Territory Remembers 75 Years」という一大キャンペーンを展開。また今年は、ダーウィン沖で連合軍(主に豪軍)によって沈められ、乗組員80名全員が死亡したとされる日本軍の潜水艦「伊124号」の追悼慰霊のための銘板を設置。メインの式典に先駆け、17日に除幕式が行われた(参照1, 参照2)。

戦争に参加した元兵士ら、当事者が高齢化し、その大半が他界されている現状では、真の歴史を語り継いでいくのは、ますます困難となるだろう。

ダーウィン空襲をはじめとする日本軍によるオーストラリア攻撃については、日本でほとんど知られていないばかりか、当地オーストラリアにおいても学校教育で省かれてきた現実がある。

歴史を風化させないためにも、「もうひとつのパールハーバー」と言われる『ダーウィン空襲』について、ここでもう一度ざっくりと確認しておきたいと思う。

 

なぜ、ダーウィンが攻撃対象となったのか?

シンガポール陥落後、旧日本軍が行った一連の空襲の目的は、退却した連合国軍が拠点としたオーストラリア北部の軍事基地機能を破壊し、補給路を断ち、反撃に出ないようにするため…とされている。

その最大拠点がダーウィンであり、最初の攻撃対象となった。

※ちなみに、シンガポール陥落は2月15日。

 

以下で、あの日のダーウィンの様子をオーストラリア側に残る記録を基に振り返ってみたい。

 

1942年2月19日、ダーウィンで何が起きたのか?

じとじとしたモンスーン気候特有の湿った空気が、体全体にまとわりつく雨季のオーストラリア北部。ダーウィン沖のバサースト島に赴任していたマクグラー神父が、じわりと滲み出る汗を大判のタオルで拭きながら、ふと時計を見ると、午前9時30分をまわったところだった。

9時35分。

海上監視役も担っていたマクグラー神父がいつもように海を見渡していると、多数の航空機が南に向かって飛行していくのを目撃。すぐさま、足踏み式ラジオでダーウィンのラジオ局へ報告した。そして、第一報を受け取ったラジオ局を経由し、わずか2分後の9時37分には、豪空軍部へこの知らせが届いていた。

しかし、この時点で敵機襲来の警報が鳴らされることはなかった――

9時58分。

最初の爆撃機がダーウィン上空に現れ、港に停泊していた船舶めがけて一斉攻撃を開始。この時、チモール海洋上に停泊した4隻の空母からダーウィン攻撃のために発進した爆撃機は計188機にも及び、(当時)人口6千人に満たない小さな軍港の町ダーウィンの上空は、おびただしい日本軍機に覆い尽くされたという。

ようやく事態の深刻さに気づいた豪軍部により、市街地への空襲警報が鳴らされたのは、マクグラー神父が報告してから30分近くが経過した午前10時頃。既に攻撃が開始された後であった。

この致命的ともいえる遅れは、報告を受けた豪空軍の係員が、「(マクグラー神父から報告された)南進する多数の航空機」を悪天候によって西チモールからジャワ島への飛行を中止し、ダーウィンへ帰還する10機の米軍機(USAAF P-40)であろうと、誤った判断をしたためとも言われている。

こうした伝達の遅れも伴い、市民は突然の空襲に曝されることとなった。この時、市街地にあった郵便局や電信局、病院等も攻撃対象となり、民間人が死亡している。

港と軍事施設へ大きなダメージを与え、一連の攻撃を終えた日本軍機団の最初の一波が去ったのは、10時10分頃だったとされる。

それから約2時間後、同日11時58分。

再び、空襲警報が市街地に鳴り響く。

二手に分かれた計54機の日本軍爆撃機が、再度ダーウィン上空に現れ、軍事基地を中心とした市街地へ一斉に爆弾を投下。

一連の攻撃を終え、日本軍機が立ち去ったのは12時10分頃であったとされる。

この日、2回に及ぶ日本軍の攻撃により民間人を含む243人が死亡、約400人が負傷した。(注意:現時点での記録に基づいた数字であり、引き続き検証が行われている)

この攻撃は、先の真珠湾攻撃を上回る弾薬量であったとされ、停泊していた8隻が沈められた港はもとより、軍関連及び主な公的施設が破壊され、ダーウィンの都市機能は失われた。これ対し、豪軍はわずかに日本軍機4機を撃破できただけであった。

ダーウィンは、この最初の攻撃から1943年11月12日までに、64回に及ぶ日本軍の空襲を受けることとなる。

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Miki Hirano平野 美紀 
自然に魅せられ、6年半暮らしたロンドンからオーストラリアへ移住。トラベル・ジャーナリストとして各種メディアへの執筆、ラジオ/テレビ出演などで情報発信しながら、メディア・コーディネーターや旅行情報サイトの運営も。目下の関心事は野生動物とエコ。シドニー在住20年以上。詳細なプロフィールはこちら。
執筆依頼、取材代行、メディア・コーディネート等、承ります。お気軽にお問い合わせください。

Risvel 連載コラム、アップ! ~いよいよクライマックス!真田丸 ゆかりの地を歩く

【コラム】 いよいよクライマックス!真田丸 ゆかりの地を歩く
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旅行情報サイト「Risvel(リスヴェル)」で連載中のコラム、今回は、初の本格的な日本の旅先紹介(?)となる「いよいよクライマックス!真田丸 ゆかりの地を歩く」です!

実は子供の頃から大河ドラマ・ファンのワタクシ(笑)。
日本に帰国した折に、現在放送されている「真田丸」のゆかりの地を訪ねてきました~♪

長野県と群馬県に点在する「真田丸」のゆかりの地。有名どころを共に、ちょっとマイナーだけど、ぜひ一度訪れてみて欲しいところをご紹介しています。鳥好きさんなら見逃せない、心温まるエピソードも!

もうすぐ最終回の真田丸、これを読んで、ぜひ、ゆかりの地を旅してみてください♪ (*´∀`*)

いよいよクライマックス!真田丸 ゆかりの地を歩く

【リスヴェル連載コラム】 いよいよクライマックス!真田丸 ゆかりの地を歩く

【リスヴェル連載コラム】 いよいよクライマックス!真田丸 ゆかりの地を歩く

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コラムアップ!オージーを魅了する、世にも美しい “桜色に染まる国” 【Risvel 連載コラム:地球に優しい旅しよう!】

祇園の桜
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 今回の旅行情報サイト「Risvel リスヴェル」で連載中のコラム:地球に優しい旅しよう!では、これまでとちょっと違った視点の記事をアップしています。

 それは、オージーから見た日本の魅力。

 北海道や長野へ、スキーに訪れるオージーが多いのは、もうご存知と思いますが、実は、じわじわと人気が高まっているのが、春の日本。

 オージーたちが熱い視線を送る春のニッポン!
 そう、桜の季節です!

 近年、じわじわと人気が高まっている桜の季節を旅する日本ツアーの実情を、美しい京都と姫路の桜と共にご紹介しています。 どんな風に人気なのか?は、コラムをお読みいただくとして・・・

 記事の中では、以前、日本のあちこちを旅した時に撮った『桜の風景』をアップしています。
 京都と姫路城は、運よく、ちょうど満開で、とてもきれいでした!
 ぜひ、桜色に染まる美しい国・日本をご堪能ください♪

オージーを魅了する、世にも美しい “桜色に染まる国”

リスヴェル連載コラム:オージーを魅了する、世にも美しい “桜色に染まる国”

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続)放射能と狂牛病の奇妙な関係

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 昨年7月に、「チェルノブイリ原発事故(放射能)と狂牛病の奇妙な関係」について触れたが、その後もいろいろと狂牛病に関して調べていたら、興味深い事実が次々とわかってきた。

 まず、ひとつめは、狂牛病(mad-cow disease)というのは、日本の厚生労働省なども認めているように「1986年に英国で発見」されたことになっているが、実はこれ以前にも、「へたり牛」と呼ばれる狂牛病にかかった牛と同様の症状が出ていた牛が、まったくいなかったわけではないということ。「へたり牛」とは、脳神経が侵されてちゃんと立てなくなり、へたったように座り込んでしまうことから名づけられたものだが、こうした症状を発症した牛は、1986年以前にも発症ケースは少ないものの、いたのだという。

 そして、それはイギリスだけでなく、アメリカでも見られていたということ。ちなみに、アメリカにおける狂牛病感染例は4例しかないことになっているが、この「へたり牛」に関しては、アメリカ国内で初の狂牛病が確認される以前からあり、この肉が市場に流通し、度々問題にもなっている。このあたりのことについては、(できたら)また回を改めてご紹介したいと思う。

 では、なぜ1986年に英国で発見された、ということになっているかというと、それは、この年を境に爆発的に増え、「狂牛病=mad-cow disease」と命名されて、正式に認められたからだ。ここで再度繰り返すが、1986年はチェルノブイリ原発事故が起こった年である。

 ※「mad-cow disease(狂牛病)」と「BSE」は同じもの、そして、「foot-and-mouth disease(口蹄疫)」も同様と考えていい。その理由はこちら。口蹄疫は、口蹄疫ウイルスの感染によって発症すると言われ、狂牛病はプリオン異常が引き起こすと考えられているが、狂牛病のプリオン異常については確定的な証拠はまだない。

 そして、二つめと三つめは、放射能と狂牛病の関連性をさらに強く示唆する以下の事実。

狂牛病を発症した牛はチェルノブイリ事故の翌年生まれが多い

 チェルノブイリ原発の事故が起こったのは、1986年の4月。英国で狂牛病が発見された(認定されたというべきかも…)のは、同年11月。その後、数年間で爆発的に増加した。しかし、最も多くの牛が発症したピークは、それから6年後の1992年から1993年にかけてだそうだ。

 九州大学の調査によると、「狂牛病を発症した牛の誕生年を調べると、1987年に誕生した牛が最も多いことが判明した」とある。つまり、チェルノブイリ原発事故の翌年に誕生した牛が、狂牛病を発症しやすかった、ということだ。

 ちなみに、肉用牛の妊娠期間は、平均285日(280~290日)間(参照)。母牛は妊娠期間中に原発事故に遭い、被曝したであろうことが示唆される。また、直接事故による被曝でなくとも、放射線量の高い時期に妊娠していたことは事実だろう。

 上記のことから、ピーク時が1992~1993年だとすると、産後すぐに発症するよりも、生まれてから5~6年後に発症するケースが多いということになる。そういう意味では、狂牛病がもし原発事故等による放射能と関係があるとすれば、他の放射能との関連性が疑われる甲状腺疾患や癌などと同様、本体または母体(妊娠期)の被曝から数年後に発症するケースが多いといえるのかもしれない。

 また狂牛病関連では、原発事故に右往左往している間に、来年初めにも、日本の牛肉に対する輸入規制が緩和されることになった。BSE(狂牛病)対策として現在実施されている輸入規制では、月齢「20カ月以下」の牛に限られているが、これを「30カ月以下」に緩和するという。(参照:牛肉の輸入規制緩和 BSEの不安拭えるか

福島原発事故後にも狂牛病が発生

 福島原発事故から約1年経った2012年4月、アメリカ西海岸のカリフォルニア州の乳牛に狂牛病=BSE発症が確認された。(参照:カリフォルニア州乳牛で狂牛病確認、流通網に入らず-米農務省アメリカで6年来初めてのBSE 非常に稀な非定型BSEというが徹底的検証が必要

 そして、この牛は、これまで狂牛病の感染経路とされてきた「汚染された動物性飼料」からの感染ではないという。以下、CNNの日本語ニュースより該当部分を抜粋。(参照

BSE感染はカリフォルニア州中部の乳牛で確認された。米当局によると、感染牛は人間用の食肉の処理工程には入っておらず、感染源は汚染された動物性飼料ではないとみられる。

 BSEは大抵の場合、肉骨粉などの動物性飼料を通じて牛に感染する。しかし農務省によれば、今回確認されたのは特異な形態のBSEで、飼料汚染が原因ではないようだという。

この記事で最も興味深いのは、感染経路が「飼料ではない」、と米当局が言明したことだろう。では、何が原因だったのか?については、その後の発表はないままに、この問題もウヤムヤになってしまった。

 また、狂牛病ではないが、2011年半ばに欧米で「スーパーサルモネラ菌」が流行、8月にはアメリカで死者がでる騒ぎとなった。このスーパーサルモネラ菌の発病は3月に遡ることができる、と英デイリーメール紙は伝えている。(参照:One dead in turkey salmonella outbreak across US

 ちなみに、ここでも書いたが、イギリスで狂牛病騒動が起きた際も、サルモネラ菌が流行した。

 一方、原発事故と狂牛病との関連性に目を向けるとどうか? これは、もう既にご存じの方も多いと思うが、福島原発から放出された放射性物質は、偏西風に乗り、事故から数日後には、既にアメリカ西海岸に届いていた。このことは、オーストリア気象地球力学中央研究所(ZAMG)のシュミレーション・データを見てもよくわかる。(※画像クリックで本サイトへ飛びます)

福島第一原発から放出された放射能拡散の様子 -オーストリア気象地球力学中央研究所(ZAMG)のデータ
 また、2011年3月17日にアメリカCBSで放送されたニュースでも、翌日の18日には西海岸に到達する、と報道している。

 チェルノブイリ原発事故と共にイギリスで狂牛病が確認され、その後数年で爆発的に増加。イギリスをはじめとする欧州各地で被害は拡大し、死者を出すまでになった。そして、今度は福島原発事故が起き、その1年後にアメリカで狂牛病が確認された…という事実。福島原発事故の数年後は、一体どうなっているのだろうか?

<追記2012.11.7>IAEAの『NUCLEAR GLOSSARY(核用語集)』に「BSE」が入ってるのも興味深い。

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原発29基分の再生可能エネルギー、日本の高温岩体地熱発電

温泉との共存が問題視される地熱発電
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 ほぼ無限に存在する、地底に眠る膨大な熱エネルギーといえる「ホット・ドライ・ロック=高温岩体発電」。前回のエントリーで紹介したオーストラリアにおける地熱開発の主力である、この高温岩体発電の秘めた可能性や利点については、こちらを読んでいただくことにして…

 高温岩体発電は、日本でもまったくやっていないわけではなく、新エネルギー産業技術総合開発機構(NEDO)が山形県肘折地区で、電力中央研究所が秋田県雄勝町などで実験的に行っているのだそうだ。

 ちなみに以下の、2001年度に制作された「高温岩体地熱発電」について紹介する動画ニュース(サイエンス・チャンネル)によれば、日本における地熱発電はすべて合わせても、国内の需要電力の0.4%程度。温泉大国であり、世界の地熱ポテンシャル第三位でありながら、かなり少ないと言える。(地熱ポテンシャルマップ

↑とてもよい動画だったに、ここで紹介した後、なぜか削除されてしまいました…

日本における高温岩体地熱発電の潜在力

 上記以外にも、この方式の地熱発電が可能な地域が日本全国に数多く点在している。上の動画にも登場している電力中央研究所・地球工学研究所の海江田秀志氏も、この高温岩体地熱発電について「火山国の日本では国内のほぼ全土で開発可能性がある。日本に適した発電方法」と指摘する。(参照:国内全土で開発可能 日本に適した高温岩体地熱発電 by 日経エコロジー)

 電力中央研究所による平成元年時の試算では、高温岩体発電可能性地域16ヶ所で、合計38,400メガワット=3,840万キロワット の発電が可能と評価している。(参照:高温岩体発電の開発 by 電力中央研究所)

 また平成5年度に、新エネルギー産業技術総合開発機構(NEDO)が国内の有望視される地熱地帯29カ所で行った調査では、2,900万キロワットの発電が可能で、「この調査の対象となった地熱地域の合計面積は、日本の国土面積の0.3%に過ぎないので、実際にはもっとあると考えても良い」と付け加えている。(参照:次世代型地熱エネルギーの開発-高温岩体発電システムの開発

 電力中央研究所による評価は、国立公園など開発しにくい地域も含まれているらしいので、NEDOの評価による2,900万キロワット程度が実際すぐに可能と考えても、およそ原発29基分に相当する発電力を秘めていることになる。 注意)原発一基で約100万キロワット=1,000メガワットと言われている。

原発推進と共に、政府や電力会社が開発に圧力?

 しかしながら、いまだに積極的な調査も開発も行われていないのが現状のようだ。というのも、この発電方式がまかり通ると、上述からもわかるように「原発は要らなくなる!」となり、それを封殺する暗黙の圧力があるから、とも言われている。

 日経エコロジー2010年2月25日付けの記事「なぜか10年新設がない地熱発電 眠れる巨大資源のハードルとは?」(参照)によれば、日本における地熱開発の遅れは、コストや温泉との共存だけでなく、政策面での冷遇も、事業環境の悪化に拍車をかけたとある。新エネ利用促進法=RPS法の施行とともに、地熱発電は国が定める「新エネルギー」の枠組みから外れた、のだそうだ。

 1993年に発売された雑誌『週刊朝日』にも「21世紀の新エネルギーになれるか 高温岩体発電スイッチオンへ」という記事が掲載されたのだが、この記事を書いた記者はこの後、左遷されてしまったという噂もあるという。(参照

 また、2006年にスイスで行われていた高温岩体地熱発電所の建設の際、周辺地域でM3.4の地震が起き、発電所建設に伴う掘削のせいだと提訴され、結局、計画の白紙化を余儀なくされた事件があったのだが、これもまた、原発維持のための圧力とみる向きもあるという。(参照)というのも、州政府をはじめ各方面からの支援で始まったプロジェクトであるにも関わらず、電力会社の社長ら、個人が訴えられるという奇妙な裁判なのだそうだ。(参照1, 参照2

 そもそも、掘削が原因で地震を誘発した、というのなら、高層ビルも建ててはいけないことになる。高層ビルを建てる際には、大深度の地下掘削工事を伴う。例えば、オーストラリアで1、2を争う超高層ビルの「Q1」は、このビル同等程度の深さの基礎を造ったと聞いている。日本における高温岩体発電では、3km以上深く掘れば、300~400℃の熱を持った岩盤が存在するという。

 とはいえ、日本のように地震を誘発する活断層などが多い場合は、掘削する箇所を慎重に選ぶ必要があるだろう。(このページのコメント欄の論議が参考に→参照

燃料費はタダ!ランニングコストのみで発電

 「高温岩体発電で原子力はもういらない」と書いた記者が左遷されたかどうかの真偽はさておき、この記事によれば、高温岩体発電の1キロワット当たりの原価は、12円70銭と試算されている、とある。原発では9円(この数字も操作されているという指摘もあるが)となっているので、高いとはいえ、水力発電並みということになる。コスト面をことさら強調するほど、高い電力とも思えない。

 なにしろ、この高温岩体発電を含め、地熱発電は基本的な燃料費がかからない。発電施設さえ建設してしまえば、後は、動力ポンプなどのわずかな燃料を必要とする機器を動かすランニングコストだけで、ほとんど0円で発電できる。

 原発がいかに危険で、不安定な供給しかできない発電所であったか、今回の福島第一原発事故および40数年来初めての全原発停止で騒がれる停電問題でわかった今、日本は大きなポテンシャルのある地熱開発に全力で取り組む時ではないだろうか。

【参考サイト】 未利用地熱資源の開発に向けて -高温岩体発電への取り組み- by 電力中央研究所

【関連コラム】 オーストラリアの地熱、26,000年分の電力供給が可能
         日本こそ、世界一の地熱発電先進国に!

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オーストラリアの地熱、26,000年分の電力供給が可能

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 温泉らしい温泉もほとんどなく、活火山は人の住んでいない遠く離れた孤島にあるだけで、火山ともほぼ無縁のオーストラリア。そんなオーストラリアでも、地熱発電を試みている地区がある。

 クイーンズランド州南西部、赤土の広大なシンプソン砂漠に面した町バーズビルには、オーストラリア唯一の地熱発電所がある。自然湧出する熱水(温泉)の蒸気を利用した『ウェット方式(対流型地熱資源)』で、80キロワットの発電力を有し、町の4分の1の世帯に電力を供給している。

 とはいえ、オーストラリア全体の電力供給量からすれば、わずか1%程度にすぎない。それほど、この国にとって地熱は、馴染みのないエネルギー源でもある。

オーストラリアの地熱に26,000年分の発電力

 ところが2008年、オーストラリア政府は意外な調査結果を発表をした。それは、これまで手が付けられてこなかった地熱エネルギーに、なんと26,000年分もの発電力が潜在しているというもの。

 オーストラリアは世界有数の石炭輸出国であり、国内の77%の電力は石炭による火力発電だ。そんな国の大陸奥深くに眠るクリーンなエネルギーの驚くべき潜在力を知り、オーストラリア政府は5000万豪ドルを研究および技術開発費に投入すると発表した。(2008年8月20日ロイター記事

 豪地熱エネルギー協会=AGEA(Australian Geothermal Energy Association)によれば、この新しい地熱発電によって2020年までに、2,200メガワットのベースロード電力(常に使っている需要電力)供給が可能であると予測。これを受け、オーストラリア政府は、再生可能エネルギーの目標を40%とし、全国需要電力の20%に当たる毎時45,000ギガワットの発電を目指す考えだ。ちなみに、2020年までに、再生可能エネルギーで2,200メガワットのベースロード電力を生み出すために費やすコストは、120億豪ドルに達すると試算されている。

温泉いらずの地熱発電、ホット・ドライ・ロック方式=高温岩体発電

地熱発電・ホットドライロック方式 地熱発電は、日本やニュージーランドでよく見られ、上記のバーズビルでも行われているような熱水=温泉水からの蒸気を利用するものが一般的。しかし、オーストラリアが新たに取り組んでいる地熱発電は、『ホット・ドライ・ロック(高温岩体発電)』と呼ばれる方式で、地下で熱せられた高温の岩石に水をかけて水蒸気を発生させ、タービンを回して発電する仕組みだ。そして、さらに場所によっては『バイナリー方式(参照)』も検討されており、環境への影響は最小限でCO2排出もほとんどなく、24時間365日の発電が可能だという。

 日本における地熱発電では、掘削により、温泉の質が変わってしまう、または枯渇してしまうのでは?という問題がつきまとう。しかし、このホット・ドライ・ロック方式は、温泉資源とは無関係なため、そうした問題とはほぼ無縁だ。(参照:温泉と共存できるか?産業技術総合研など、地下600メートル掘削へ -毎日新聞 2012年1月17日付け)

 また、地下で熱せられた岩盤の熱のみを利用するため、石油や石炭のように枯渇する資源ではないのが特徴。利用する熱は地球深部のマグマで温められたものであり、マグマが急速に冷えない限り、比較的短期間に回復する。つまり、熱を取りすぎたために、その場所から永遠に熱がなくなってしまうということはない。ほぼ無限に存在する、地底に眠る膨大な熱エネルギーといえる。

南オーストラリアで始まった地熱発電試験プロジェクト

 クイーンズランド州境付近の砂漠地帯、南オーストラリア州イナミンカ地区で、このホット・ドライ・ロック式の発電試験プロジェクトが始まっている。正式稼働すれば、廃棄物を一切出さずに原子力発電所10基分に当たる、10,000メガワットの電力生産が可能だという。

 「Geothermal industry pushes for more power」と題して2011年7月6日に放送されたABCニュースでは、冒頭のバーズビルの地熱発電所と、この南オーストラリア州での試験プロジェクトを紹介している。


 原発に依存しないエネルギーとして、太陽光や風力などの再生可能エネルギーが注目される中、CO2をほとんど出さず、最もクリーンで安定供給が可能な「地熱」。オーストラリアよりも利用が容易で技術的にも優れている日本こそ、地熱発電のあらゆる方面からの可能性に挑戦し、世界にお手本を示して欲しいと思う。

【関連コラム】 日本こそ、世界一の地熱発電先進国に!
         原発29基分の再生可能エネルギー、日本の高温岩体地熱発電

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敵国の大将を招いたアンザック・デー

タイの泰緬鉄道建設で最も過酷だったと言われるヘル・ファイヤー・パス。ここで、多くのオーストラリア兵が亡くなり、先日もアンザック・デーの式典が行われた。
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※このエントリーは、私(平野美紀)が、2005年4月27日に執筆したものです。ODNの公式サイト内で連載していたブログ記事の1つとして公開され(のちにソフトバンクテレコムに買収され終了)、今年2012年のアンザックデーに寄せて再アップしました。

 今年はアンザック・デーのことについて触れるつもりはなかったのだけれど、今年新たに数名の方から昨年の記事にトラックバックをいただいたので、ちょっとだけ今年の様子はどうだったのか?ということなど、つらつらと書いておこうと思う。

敵国の大将を招いて行われた式典

 今年のアンザック・デーは、ご存知の通り、現在も尚、軍隊を駐留させているイラクへのさらなる増派が行われ、かの地でもアンザック・デーの式典が開催された。このイラクへの派兵は、日本の報道機関でも伝えられてると思うが、日本の陸上自衛隊の安全確保と支援が主な目的。

 そのためもあってか、アンザック・デーの式典には、陸上自衛隊の責任者(もちろん日本人)も出席し、オースト ラリア国内で話題になった。それは、言わずもがな、日本はこの国=オーストラリアにとって、かつての戦争における敵国にも関わらず、今となっては『戦争記念日』的な位置づけになりつつあるアンザック・デーに、敵国の大将を招いたような格好だからだ。これには私も、ちょっと、いや、かなり衝撃を受けた。

 でも、これに対し「なんで敵国の人間を出席させるのか!」と言ったような、怒りの世論は起きていない(…というか聞かない)。イラクへの派兵を純粋に反対する声は少なからずあるけれど、「なぜ、“元敵国であった日本”を守るためにイラクへ派兵しなければならないのか!」と言ったような怒りの声もとくにない。

 ちょうど時を同じくして中国各地で起きた反日デモ(…というか、あれはもうテロに近い)に比べ、まったく対照的だ。オーストラリアも中国と同じく先の戦争では、日本が敵国。なのに、この両国の対応(反応)はあまりにも違いすぎる。

オーストラリアと日本は、昔から友好国

 この件で、ハワード首相は自ら「日本とわが国は、昔から友好国であり、長年助け合ってきた。日本の自衛隊を護衛するために、派兵を決定した」と国民に理解を求める声明を出している。

 #この「昔から友好国」という部分には、第一次世界大戦におけるアンザック隊を護衛した日本海軍への恩返しという意味も含まれるんじゃないかと思う。以下にオーストラリア大使館のサイトで公開している資料『日豪国防協力の今昔』より、該当部分を転載。

実はこのオーストラリアとニュージーランドの軍隊輸送を戦場に護衛する役割を日本の軍艦が果たしていた。-(中略)-日本は、志願して集まったオーストラリア兵とこれに加わったニュージーランド兵、合わせて3万人を乗せた最初の輸送船団38隻をドイツの攻撃から守り、インド洋を護送する要請を受けたのである。

 このあたりのことを知らない日本人が多いために、「アンザック・デーは日本人にとって嫌な日」などと、誤解を招いているのかもしれないけれど、アンザック・ デーの本来の意味=アンザック隊からすれば、恨まれるどころか、反対に感謝される立場でもあり、オーストラリアにとって日本は、(戦争においても)決して悪い イメージばかりではない。

前向きに、協力し合える関係を築くのが大切

 実はこの前行った東南アジアの国で、オーストラリアが建てたという戦争記念館(もちろん第二次世界大戦の。以前、タイのカンチャナブリーにあるのにも行った) に、オージー達と共に行かねばならないはめになったのだけれど、その中のひとりである60代のおじさんが、日本軍の行った数々の行為についての展示を見終え、落胆していた私(だって、返す言葉もないというか、何も言えませんよ…)をわざわざ呼び止め、こう言って心を和ませてくれた。

 「歴史を知ることは重要だけれども、昔のことを根掘り葉掘り並べて、悪印象を持つようなものはよくないし、意 味が無い。こんなこと(日本軍が行った残虐とも言える行為)を知らしめたところで、何かがよくなることはないし、何も変わってないじゃないか。そうだろ、今 だって世界各地で戦争しているのだから。もっと前向きに、協力し合える関係を築くのが大切なんだよ。」

 …おじさんの温かい心遣いに、ちょっと涙がでた。

 で、結論として何が言いたいのかというと、日本は反日感情むき出しの中国のことは置いといて、もっとオーストラリアとの関係を強化したほうがいいんじゃないかということ。中国は所詮、オーストラリアから資源を売ってもらわないと成り立たないわけだし、資源も農産物も豊富(前にも書いたけど、自給率は300%以上!)であるオーストラリアは、結構お役に立つと思いますけど??…と思いながらウェブ・サーフィンしてたら、極東ブログさんも似たようなこと書かれていましたね…

※先の戦争におけるオーストラリアの心情は、概ね「いつまでも昔のことにこだわっているより、前向きになったほうがお互いのためである」という意識が強いよう。もちろん、よく思っていない人が全くいないわけじゃないとは思いますけど。

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About Me
Miki Hirano平野 美紀 
自然に魅せられ、6年半暮らしたロンドンからオーストラリアへ移住。トラベル・ジャーナリストとして各種メディアへの執筆、ラジオ/テレビ出演などで情報発信しながら、メディア・コーディネーターや旅行情報サイトの運営も。目下の関心事は野生動物とエコ。シドニー在住20年以上。詳細なプロフィールはこちら。
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