冷静沈着で才女と言うイメージ(あくまでもTVなどで拝見する限り)の有名ジャーナリスト氏が、先日ツイッターで以下のような発言をしていたので、驚いた。
原発に関してはリスクを最大限に考えろというのに、脱原発のリスクをあまり考えていない人が少なくない。本気かつ現実的に脱原発を求めるからこそ、そのリスクやデメリットを見つめ、どう解決し乗り越えていくか考えないと。原発なくなったけど、経済どん底、凍死者餓死者続出、というのじゃ困るし (Tweet)
原発やめても誰も何も困りませんという極端な脱原発安全神話は、原発安全神話の裏返しに過ぎない、という気がする。脱原発を目指せばこそ、そのリスクとそれに対する対応策や備えをしっかり考えようじゃありませんか…というと経団連の回し者みたいに言われるのはほわい? (Tweet)
どちらのツイートも50人以上にリツイートされ、ツイッター上ではかなり拡散されたと思われる。この方はこれ以外にも再三、「放射能はたいしたことはない。心配には及ばない」的な発言を繰り返す原発推進派といわれる大学教授らに共感の意を示している。
脱原発=原発を再稼働させないリスクとは何なのか?
まず疑問に思ったのは、「原発なくなったけど、経済どん底、凍死者餓死者続出」というのは、ありえるのか?ということ。これは結論からいくと、「原発あるけど、事故が起きたら経済どん底、放射能で死者続出」というのが正解なのではないだろうか。
実際、今回の福島原発事故で多くの国々が日本製品を(放射能汚染の懸念から)拒絶したり、安全性の確認を求めるなどの措置を講じている。これが経済への影響がないか?と言われれば、「ない」とは言い切れないはずだ。また、国内に流通する食品も汚染を心配し、放射能測定結果を気にしながら、買い控えたりする人も多くなった。これらが、経済の停滞ではなく、何だというのか。
原発事故が起きて死者が続出したか?と聞かれれば、現時点では顕著な現象として見られないかもしれないが、今後はどうなるかわからない。放射能(放射線被曝)による健康への影響は、医療被曝も含め、「ある」ということはわかっている事実だ。そもそも、これほど大規模な放射能汚染は、チェルノブイリ原発事故以外に地球上で起きたことはなく、その影響はいまだによくわかっていない。こんなことを言うと、「放射能は心配ない」と主張する人たちは、これを逆手に「ほら、健康被害が出るかどうか、わからないじゃないか」というのかもしれないが、被害が出てからでは遅いのだ。わからないからこそ、無意味な被曝は避ける必要がある。常に最悪の状態を想定する…それが『リスク管理』というものだ。
とはいえ、現時点で原発を稼働させない=代替の発電方法での電力供給に移行する場合に、(電力)創出の不安定さなどから、一時的に経済が落ち込む可能性もないとは言えない。しかしそれは、あくまでも一時的であり、代替発電による安定供給が確立されるまでの間だ。また、それに向かって進むことで、新設する再生可能エネルギーの発電施設や従来の火力・水力発電所の整備拡張などで、コスト増になることも否めないだろう。脱原発を主張する人々も、それに伴う増税や電気料金の値上げ、多少の不便は覚悟する必要がある。
経済活動は民が支えるもの
上記のような脱原発のリスクを鑑みても、原発を維持するリスクのほうがはるかに大きい。原発は、一旦事故を起こせば、放射能がまき散らされ、国土の一部は半永久的に使えなくなる。そして、放射能汚染された土地で農産物や製品を作っても、人々が不信感を抱いて買わなくなることは、今回の福島第一原発事故を見ても明らかだ。こうした事態のほうが、よほど経済ダメージも大きく、人々の精神的ダメージも計り知れない。その上、放射能による健康被害が続出し、国を構成する民(国民)に支障がでたら、経済活動どころの話ではない。国の存続にかかわる問題だ。
『経済』とは、社会の生産活動のことだ。その生産活動を支えているのは民である、ということを、原発維持を主張する人々は忘れている。
自然に魅せられ、6年半暮らしたロンドンからオーストラリアへ移住。トラベル・ジャーナリストとして各種メディアへの執筆、ラジオ/テレビ出演などで情報発信しながら、メディア・コーディネーターや旅行情報サイトの運営も。目下の関心事は野生動物とエコ。シドニー在住20年以上。詳細なプロフィールはこちら。
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