かつて、イギリス領であったオーストラリアは、1950年代から1960年代にかけて、イギリスによる核の実験場にされてきた暗い歴史がある。当時、まだ情報伝達方法がほとんどない僻地での実験は、一般市民に知られることはほとんどなかった。
しかし、実験の内容を知らされることなく、無防備に実験に接していた豪兵士らが健康被害を訴えるなどし始め、表沙汰となり、市民による本格的な反核運動が始まったと言われている。1957年に行われた世論調査では、49%が核実験に反対、39%が好意的に受け止めている、という結果だったそうだ。(イギリスによる核実験で最も被害をこうむっていたのは先住民族アボリジニだったが、この頃はまだアボリジニへの関心が持たれることは皆無に等しかった)
最初の原発反対キャンペーン
Anti-nuclear movement(反核運動)が、オーストラリアで最初に大きな市民運動となったのは、1969年にニューサウスウェールズ州で一旦認可された「ジャービスベイ原子力発電所」建設計画の時。ジャービスベイ住民らが『原発反対キャンペーン』を展開、市民が率先して環境問題を絡めた勉強会などを開き、知識を高めたそうだ。
そうした反原発の波が各地へ伝播。民意を受けるような形で、首相が反原発派へ交代し、火力より原子力のほうがコストが高いと、財政上の理由を持って原発計画は白紙に戻された。
活発化する反核運動
70年代に入り、南太平洋におけるフランスの水爆実験への反対行動が活発化、さらに、ウラン鉱山周辺での環境汚染に対する抗議行動などが加わり、オーストラリアの反核運動はより大きなうねりとなっていく。また、1972年末の総選挙で反原発の労働党が勝利したことで、世界的にも「原子力の平和利用」を推進する立場を明確にした。その後もこの流れが衰えることはなく、こちらのエントリーで書いたように、再び持ち上がった本格的な「原発建設」の動きにストップをかけるほど、今では市民の反核意識はより一層強固なものになっているといえる。
こうした市民の根強い反核精神の表れは、日本の『原爆記念日(原爆の日)』にも強く感じることができる。毎年この日に合わせ、オーストラリア各都市では、被曝者の追悼と戦争への反対と共に、反核を訴えるラリー(デモ行進)や集会が行われている。(例:パースのHiroshima and Nagasaki Day、シドニーのHiroshima Day Committee)それに引き替え、日本は当事者でありながら、主には広島と長崎の市内で追悼式が行われる程度ではないだろうか。
核の危険性を科学者や専門家らが大々的に告示
上述のジャービスベイ原子力発電所への反対キャンペーンが行われた際、科学者ら専門家で結成する連合より、生命を守るという観点から「原発=核の危険性」が大々的に報告されたという。それによって、市民は「核の危険性」を強く認識し、自発的に情報収集や勉強会を開くようになった、と言えると思う。
その後も、科学者および専門家による勉強会や講演会は各都市で開かれ、その度に大勢の一般市民が集まっている。ちなみに、2006年にメルボルン大学で開かれた「Does nuclear power have a place in Australia’s energy mix?(オーストラリアのエネルギー政策として、原発は可能性があるか?)」という講演会には、温暖化の議論に拍車がかかっていたこともあり、200人以上が詰めかけたそうだ。
こうした専門家の知識を一般市民と共有する=「知」の共有という意識は、オーストラリア国民に根強くある『フェア・ゴー(fair go)』や『マイトシップ(mateship)』の精神とも無関係ではないように思う。これらについての説明は、オーストラリア政府が作成した日本語パンフレットから、該当部分を以下に抜き出してみる。全文はこちらで。
<フェア・ゴー精神とは>
オーストラリア人は機会の平等と、よく「fair go」と言われる公平の精神を重視します。これは
誰かが人生で達成する事柄はその人自身の才能や仕事、努力の結果であるべきで、出生の偶然や
えこひいきによるべきものではないという意味です。
オーストラリア人には、相互尊重、寛容、公平な態度を大切にする平等主義の精神があります。
これは誰もが同じであるとか、皆が等しい富や財産をもつという意味ではありません。これが目
的とするものは、オーストラリア社会に公式な階級の区別がないようにすることです。
<マイトシップ精神とは>
オーストラリアには「mateship」という強い仲間意識の伝統がありますが、これは人々が特に困ってい
る人を自発的に助けることを意味します。仲間(mate)とは友人であることが多いですが、配偶者やパー
トナー、兄弟姉妹、息子や娘、友人であることもありますし、まったく知らない人である場合もありま
す。この国には社会奉仕やボランティア活動を行う強い伝統もあります。
注意)もちろん、これらが完全に全国民に根付いているわけではないですし、だからといって、差別がまったくないとか、すべて平等だというわけではありません。実際この国で暮らしていると、そうではない部分ももちろんあり、理不尽なこともたくさんあります。「概ね、こうした傾向にある」ということで、ご理解いただければ幸いです。
市民の反核運動を支えた2人の医師とウラン採掘問題
こうした市民の強い反核精神を支えたのが、放射能の危険性を人体への影響面から訴える医師たちの存在といえそうだ。とりわけ、日本でもお馴染みになった小児科医のヘレン・カルディコット氏とメルボルン大でも教鞭をとる医師のティルマン・ラフ氏は、オーストラリア反核運動の先導者でもある。この2人は、福島原発事故に際しても、すぐさま声明を出してくれているので、ご存じの方も多いかと思う。
私たち人間の体と健康についてよく知る医師たちが、核=放射性物質の人体への影響を懸念し、その危険性を訴えるという直接的な行動をとることにより、市民の関心をより一層引き付け、反核の大きな原動力になったことは、いうまでもない。
また、反原発運動の流れの中で、核の原料となるウランを輸出するオーストラリアこそ、ウラン採掘を止め、率先して核廃絶に努めなければならないという声も、国内では年々大きくなっている。この市民の反核運動を支えた2人の医師、そして、ウラン採掘に関する問題については、また回を改めてご紹介したいと思う。
州法で民意を反映、反核・反原発を明確に
こうした流れを受け、1986年にはニューサウスウェールズ州で「URANIUM MINING AND NUCLEAR FACILITIES (PROHIBITIONS) ACT 1986 /ウラン鉱山、原子力施設(禁止事項)」が制定され、ウラン探査・採掘と原子力施設の建設を州法によって規制。これをきっかけに、ビクトリア州も同様の州法を制定。タスマニア州とクイーンズランド州でも「原発及び核施設、放射性廃棄物を阻止する州法」を制定した(参照)。(西オーストラリアでも「ウラン探査・採掘規制法」があったが、2008年に撤廃。現在は採掘事業を後押しする形になっている)
アメリカ同様、連邦制で各州が大きな権限を持つオーストラリアは、このように各州が独自に核・原発を規制する州法案を制定し、州の民意を示す形となっている。
【参考】 -オーストラリアにおける反核運動の成功を紹介
自然に魅せられ、6年半暮らしたロンドンからオーストラリアへ移住。トラベル・ジャーナリストとして各種メディアへの執筆、ラジオ/テレビ出演などで情報発信しながら、メディア・コーディネーターや旅行情報サイトの運営も。目下の関心事は野生動物とエコ。シドニー在住20年以上。詳細なプロフィールはこちら。
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