2017年3月3日、西オーストラリア州北部のブルームは旧日本軍による空襲から75年目を迎える。
3月2日から3日にかけて、ブルームでは「Remembering the Broome Air Raid after 75 years」として、ささやかな催し物と式典が開かれる予定だ。
歴史の奥深くに埋もれたままの『旧日本軍によるオーストラリア空襲』。
1942年から1943年にかけて行われた一連の攻撃は、沖合の島などを含めると少なくとも97回にも及ぶ。
隠されたブルーム空襲
1942年、3月3日。ダーウィンの西約1,100kmの小さな海辺の町ブルームが、旧日本軍による空襲を受け、連合軍側88名、日本側1名が死亡した。2月19日のダーウィン空襲から12日後のことである。
当時、ブルームは真珠で栄えた小さな町であったが、戦争拡大でオランダ領東インド諸島からオーストラリア本土への避難ルートとなっており、民間人と共に連合軍の軍関係者も輸送されてきていたため、攻撃対象になったとされる。
ブルームへの空襲はダーウィンに次いで被害が大きく、連合軍側の22機が撃墜され、ローバック湾などに停泊していた輸送飛行艇15機が沈められた。この攻撃で88名が死亡、負傷者多数。日本側も2機が撃墜され、1名が死亡したと記録されている。
連合軍側の犠牲者のほとんどはオランダ民間人の女性や子供達で、名前が判る者は少なく、性別や年齢の判別は困難で、正確な数はわかっていない。わかっているのは、名前のわからない犠牲者の中には9名の子供が含まれており、最年少は1歳程度の乳児であったこと……
※実は2月20日と21日にも、西オーストラリア北部へ爆撃が行われたが、幸い人的被害は怪我人のみだった。
こうした事実は、日本ではほとんど知られておらず、そもそも日本とオーストラリアが戦ったことを知る人すら少ないのは本当に残念なことだけれど、オーストラリア国内においても、ブルーム空襲については、先のダーウィンよりもさらに知られていないのが現状だ。
その理由は、ブルーム歴史協会のディオン・マリニス氏の言葉に痛いほど現れている。
「これは、私たちにとってのパールハーバー(真珠湾攻撃)です。しかし、政府はこの事実を口外することでパニックになることを恐れたのです。」
▼Pearl Harbor anniversary a reminder of Broome WWII attacks
つまり、民衆がパニックになることを恐れた政府の隠蔽か――
どこの国でも、こうしたことがあからさまに行われてきたことを実感せざるをえない。
ブルーム上空で撃墜された日本人パイロットの墓
昨年5月、私はオーストラリア政府観光局主催のツーリズム・トレードショーに参加させてもらった際、ブルーム近郊でツアー会社を営むアボリジニのおじさんから興味深い話を聞いたのだった。
それは、ブルームに眠る日本兵の墓――
第二次世界大戦中、旧日本軍がブルームを攻撃した際、零戦が撃墜され、パイロットは(落下傘で?)脱出した。後日、地元のアボリジニの人たちが、マングローブの木に落下傘が引っ掛かっているのを発見。傍に倒れていた人物は既に息絶えていたため、アボリジニの人たちが近くに埋葬し、それ以降、日本人の墓として70年以上見守り続けている――
というのだ。アボリジニのおじさんは、さらに力強くまくしたてる。
「これは、日本人が絶対に知らなきゃならないことだ。墓の場所はもろく、崩れかけている。ようやく先日、日本政府が調査に来たが、もっときちんと確認して、できれば日本に帰してあげて欲しい。」
最初聞いた時は、ブルームにある「日本人墓地」のことかと思ったのだが、よく聞くとそうではないらしい。昔から世界有数の真珠貝産地だったブルームには、日本からも明治の頃より真珠ダイバーとして多くの移民が渡ったため、日本人墓地があるので、そこのことかと思ったが違った。
とにかく、ブルームに日本の戦士が眠っていることを日本人が知らなければならない!と、何度も聞かされたことが頭を離れず、自宅に戻ってから調べてみると、確かにおじさんが言った通り、その年の(2016年)3月に、ブルームに日本の厚生労働省が調査に入ったことがわかった。(参考)
豪ABCの記事には、ブルーム攻撃で撃墜された零戦パイロットの工藤修中尉(最終階級)の可能性があると書かれていた。ただ、誰も工藤氏の零戦が墜落する瞬間をきちんと見た者はいないのだそうだ。
それでも、発見した地元のアボリジニの人たちは、「日本人パイロットの墓」として、見守り続けてきた。
アボリジニの人々も地元の歴史家も、崩れそうなその墓について、日本政府がきちんと予算をとって調査し、埋葬されているのが本当に工藤氏なのかどうか、DNA鑑定などでしっかり確認して欲しいと口を揃える。
神秘的な自然現象「月への階段」で知られ、今となっては国内屈指の人気リゾート地となったブルームの知られざる過去。
日本人にとっては、明治の頃から移民した方々が多い縁の深い地でありながら、そうした事実もあまり知られていないのは、なんとも寂しく、悲しい気持ちになるのだった・・・
自然に魅せられ、6年半暮らしたロンドンからオーストラリアへ移住。トラベル・ジャーナリストとして各種メディアへの執筆、ラジオ/テレビ出演などで情報発信しながら、メディア・コーディネーターや旅行情報サイトの運営も。目下の関心事は野生動物とエコ。シドニー在住20年以上。詳細なプロフィールはこちら。
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