もうひとつのパールハーバー ~知られざるダーウィン空襲/日本に攻撃されたオーストラリア

ダーウィン港(ポート・ダーウィン)
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1942年2月19日。ハワイ真珠湾攻撃から約2か月後、オーストラリア北部の港町ダーウィンは、旧日本軍による大規模な空襲を受けた。

このことを知る日本人は、どれくらいいるのだろうか?

この日以降、ダーウィンだけで64回、それ以外にもブルームやキャサリン、タウンズビル、モスマンなどのオーストラリア北部の町へ、日本軍による空襲が行われたが、この事実はほとんど知られていない。

2017年2月19日、ダーウィンは空襲から75年目を迎える。

75年の節目を迎えるに当たり、ノーザンテリトリー準州政府は昨年より「The Territory Remembers 75 Years」という一大キャンペーンを展開。また今年は、ダーウィン沖で連合軍(主に豪軍)によって沈められ、乗組員80名全員が死亡したとされる日本軍の潜水艦「伊124号」の追悼慰霊のための銘板を設置。メインの式典に先駆け、17日に除幕式が行われた(参照1, 参照2)。

戦争に参加した元兵士ら、当事者が高齢化し、その大半が他界されている現状では、真の歴史を語り継いでいくのは、ますます困難となるだろう。

ダーウィン空襲をはじめとする日本軍によるオーストラリア攻撃については、日本でほとんど知られていないばかりか、当地オーストラリアにおいても学校教育で省かれてきた現実がある。

歴史を風化させないためにも、「もうひとつのパールハーバー」と言われる『ダーウィン空襲』について、ここでもう一度ざっくりと確認しておきたいと思う。

 

なぜ、ダーウィンが攻撃対象となったのか?

シンガポール陥落後、旧日本軍が行った一連の空襲の目的は、退却した連合国軍が拠点としたオーストラリア北部の軍事基地機能を破壊し、補給路を断ち、反撃に出ないようにするため…とされている。

その最大拠点がダーウィンであり、最初の攻撃対象となった。

※ちなみに、シンガポール陥落は2月15日。

 

以下で、あの日のダーウィンの様子をオーストラリア側に残る記録を基に振り返ってみたい。

 

1942年2月19日、ダーウィンで何が起きたのか?

じとじとしたモンスーン気候特有の湿った空気が、体全体にまとわりつく雨季のオーストラリア北部。ダーウィン沖のバサースト島に赴任していたマクグラー神父が、じわりと滲み出る汗を大判のタオルで拭きながら、ふと時計を見ると、午前9時30分をまわったところだった。

9時35分。

海上監視役も担っていたマクグラー神父がいつもように海を見渡していると、多数の航空機が南に向かって飛行していくのを目撃。すぐさま、足踏み式ラジオでダーウィンのラジオ局へ報告した。そして、第一報を受け取ったラジオ局を経由し、わずか2分後の9時37分には、豪空軍部へこの知らせが届いていた。

しかし、この時点で敵機襲来の警報が鳴らされることはなかった――

9時58分。

最初の爆撃機がダーウィン上空に現れ、港に停泊していた船舶めがけて一斉攻撃を開始。この時、チモール海洋上に停泊した4隻の空母からダーウィン攻撃のために発進した爆撃機は計188機にも及び、(当時)人口6千人に満たない小さな軍港の町ダーウィンの上空は、おびただしい日本軍機に覆い尽くされたという。

ようやく事態の深刻さに気づいた豪軍部により、市街地への空襲警報が鳴らされたのは、マクグラー神父が報告してから30分近くが経過した午前10時頃。既に攻撃が開始された後であった。

この致命的ともいえる遅れは、報告を受けた豪空軍の係員が、「(マクグラー神父から報告された)南進する多数の航空機」を悪天候によって西チモールからジャワ島への飛行を中止し、ダーウィンへ帰還する10機の米軍機(USAAF P-40)であろうと、誤った判断をしたためとも言われている。

こうした伝達の遅れも伴い、市民は突然の空襲に曝されることとなった。この時、市街地にあった郵便局や電信局、病院等も攻撃対象となり、民間人が死亡している。

港と軍事施設へ大きなダメージを与え、一連の攻撃を終えた日本軍機団の最初の一波が去ったのは、10時10分頃だったとされる。

それから約2時間後、同日11時58分。

再び、空襲警報が市街地に鳴り響く。

二手に分かれた計54機の日本軍爆撃機が、再度ダーウィン上空に現れ、軍事基地を中心とした市街地へ一斉に爆弾を投下。

一連の攻撃を終え、日本軍機が立ち去ったのは12時10分頃であったとされる。

この日、2回に及ぶ日本軍の攻撃により民間人を含む243人が死亡、約400人が負傷した。(注意:現時点での記録に基づいた数字であり、引き続き検証が行われている)

この攻撃は、先の真珠湾攻撃を上回る弾薬量であったとされ、停泊していた8隻が沈められた港はもとより、軍関連及び主な公的施設が破壊され、ダーウィンの都市機能は失われた。これ対し、豪軍はわずかに日本軍機4機を撃破できただけであった。

ダーウィンは、この最初の攻撃から1943年11月12日までに、64回に及ぶ日本軍の空襲を受けることとなる。

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Miki Hirano平野 美紀 
自然に魅せられ、6年半暮らしたロンドンからオーストラリアへ移住。トラベル・ジャーナリストとして各種メディアへの執筆、ラジオ/テレビ出演などで情報発信しながら、メディア・コーディネーターや旅行情報サイトの運営も。目下の関心事は野生動物とエコ。シドニー在住20年以上。詳細なプロフィールはこちら。
執筆依頼、取材代行、メディア・コーディネート等、承ります。お気軽にお問い合わせください。

Risvel 連載コラム、アップ! ~いよいよクライマックス!真田丸 ゆかりの地を歩く

【コラム】 いよいよクライマックス!真田丸 ゆかりの地を歩く
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旅行情報サイト「Risvel(リスヴェル)」で連載中のコラム、今回は、初の本格的な日本の旅先紹介(?)となる「いよいよクライマックス!真田丸 ゆかりの地を歩く」です!

実は子供の頃から大河ドラマ・ファンのワタクシ(笑)。
日本に帰国した折に、現在放送されている「真田丸」のゆかりの地を訪ねてきました~♪

長野県と群馬県に点在する「真田丸」のゆかりの地。有名どころを共に、ちょっとマイナーだけど、ぜひ一度訪れてみて欲しいところをご紹介しています。鳥好きさんなら見逃せない、心温まるエピソードも!

もうすぐ最終回の真田丸、これを読んで、ぜひ、ゆかりの地を旅してみてください♪ (*´∀`*)

いよいよクライマックス!真田丸 ゆかりの地を歩く

【リスヴェル連載コラム】 いよいよクライマックス!真田丸 ゆかりの地を歩く

【リスヴェル連載コラム】 いよいよクライマックス!真田丸 ゆかりの地を歩く

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追憶の“ありかとう” ~心温まる粋なパリのレストラン

パリのオテル・ド・ヴィル
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溜まりに溜まったオフィスの資料や本を整理していたら、思わぬものがでてきた。

その昔、フランスへ行った時のパンフレットや航空チケットの控えに混じって、食事をした際のものと思われるレシートが数点。日付をみると「07/09/97」とある。つまり、1997年9月7日のものだ。

薄っぺらいレシートの紙で、店の名刺ともいえるショップカードが2枚巻かれていた。お店の名前は「Les Fous d’en Face」。住所は 3 rue du Bourg Tibourg, 75004 Paris とある。

パリといっても、どの辺にあるどんな店だったのか、とんと覚えていない。食べたのはどうやらセットメニューだったのか、「2人分の食事」といった意味のフランス語だけが書かれていた。金額はたぶん311フラン。日本円にすると5,600円くらいか?

まあ、そんなレシートの内容はどうでもいい。
とにかく、レシートの一番下にある「TOTAL SERVICE COMPRIS(サービス料込みの合計額)」欄に、目が釘付けになってしまった!

そこにあったのは・・・

あ り が と う
サービス欄に「ありかとう」と日本語が書かれたレシートとお店のショップカード

サービス欄に「ありかとう」と日本語が書かれたレシートとお店のショップカード

いや、よく見ると・・・

あ り か と う

だ!

よく見ると “ありかとう” だった、、

よく見ると “ありかとう” だった、、

子供が書いたような、ちょっとのたくったような文字でハッキリと「ありかとう」と日本語(平仮名)が書かれていた!!

濁音にはなっていなかったけれど、「ありがとう」と書きたかったのはよくわかる。日本語を習っている、もしくは習ったことのある店員さんだったのだろうか?!

サービス欄に「ありがとう」とは、感激。粋なことをしてくれる。泣けるじゃないかーーっ!(T . T)

このレシートを見つけたことで、19年ぶりに記憶の片隅から甦ったこのパリのレストランに、もう一度行ってみたくなった。

すぐさまネットに繋ぎ、Google先生に訊いてみる。今は便利だ。この店に行った19年前は、まだGoogleなんてなかった時代だもの。ちなみに、Googleの設立は1998年9月4日だそうで、この店に行った日からちょうど約1年後に、この世に登場することになる。

しかし、Google先生は悲しい結果を導き出した…

閉 業
Google先生が、このレストランが「閉店」したことを告げる…

Google先生が、このレストランが「閉店」したことを告げる…

・・・閉店していた…
・・・・・マジかよ、、なんてこった、、、がっかり…(;_;)

でも、Google先生は忘れていた様々なことを教えてくれた。

レストランがあった場所を示すGoogle Map

レストランがあった場所を示すGoogle Map

お店の場所はマレ地区、地下鉄のオテル・ド・ヴィル駅から歩けるところにあった。そして、ネット上に残された世界中の人々の足跡(投稿写真)からお店の雰囲気もわかった。

そうそう、こんな感じの、素朴でいかにもフランスの片田舎風と言った感じのビストロだったよ!

それでも残念ながら、何を食べたのかは未だに思い出せていない。けれども、その店は割と評判がよく、2014年頃までは同じ場所で営業していたこともわかった。

何人かがこの店を訪れた感想や紹介文をブログに書き留めてくれていて、つい数年ほど前までのお店の様子を今でも知ることができる。

パリにいくつかあるホテルが運営するブログでは、お料理まで詳細に記され、「お気に入りのパリジャン・レストラン」としてリストに挙げていた。
“Les Fous d’en Face” restaurant in Paris

以下のブログはフランス語のため、内容はすべて把握できないけれども、今手元にある19年前のショップカードは、ほぼそのままのデザインで2012年まで使用されていたことがわかった。たぶん、閉店するまでずっと同じデザインだったのだろう。
Les fous d’en face

レストランで食事をして、こんなに嬉しい気持ちにさせてくれるレシートをもらったことは他にはない。なのに、「もう一度行ってみたい!」というささやかな願いは、もう二度と叶わないのが寂しい…

それでも、いろいろと検索してみたら、閉店するまで地元の人を含め、たくさんの人々に愛されたレストランだったであろうことがわかって、少し心が温かくなった。

くーーー、それにしても残念!!!

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コラムアップ!オージーを魅了する、世にも美しい “桜色に染まる国” 【Risvel 連載コラム:地球に優しい旅しよう!】

祇園の桜
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 今回の旅行情報サイト「Risvel リスヴェル」で連載中のコラム:地球に優しい旅しよう!では、これまでとちょっと違った視点の記事をアップしています。

 それは、オージーから見た日本の魅力。

 北海道や長野へ、スキーに訪れるオージーが多いのは、もうご存知と思いますが、実は、じわじわと人気が高まっているのが、春の日本。

 オージーたちが熱い視線を送る春のニッポン!
 そう、桜の季節です!

 近年、じわじわと人気が高まっている桜の季節を旅する日本ツアーの実情を、美しい京都と姫路の桜と共にご紹介しています。 どんな風に人気なのか?は、コラムをお読みいただくとして・・・

 記事の中では、以前、日本のあちこちを旅した時に撮った『桜の風景』をアップしています。
 京都と姫路城は、運よく、ちょうど満開で、とてもきれいでした!
 ぜひ、桜色に染まる美しい国・日本をご堪能ください♪

オージーを魅了する、世にも美しい “桜色に染まる国”

リスヴェル連載コラム:オージーを魅了する、世にも美しい “桜色に染まる国”

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シドニーから…美しい天の川がかかる、忘れ去られた緑の渓谷へ【Risvel 連載コラム:地球に優しい旅しよう!】

シドニーから…美しい天の川がかかる、忘れ去られた緑の渓谷へ【Risvel 連載コラム
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 旅行情報サイト「Risvel リスヴェル」で連載中のコラム:地球に優しい旅しよう!に、シドニーから行く秘境をご紹介したコラムをアップしています。(またまた遅くてすみません。。)今回ご紹介しているのは、シドニーから車で約3時間のところにある、世界で二番目に大きな渓谷「キャパティー・バレー」。

 その場所は、世界遺産エリアの一角にあるのに、まったく観光化されていない、忘れ去られた渓谷です。緑のグランド・キャニオンとも呼ばれる美しい渓谷は、知る人ぞ知るバードウォッチングスポットでもあります。

 夜には満天の星が輝き、月のない晩には、くっきりとかかる天の川が見られる秘境へ出かけてみませんか?

▼【連載コラム】地球に優しい旅しよう!シドニーから…美しい天の川がかかる、忘れ去られた緑の渓谷へ

シドニーから…美しい天の川がかかる、忘れ去られた緑の渓谷へ【Risvel 連載コラム

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執筆依頼、取材代行、メディア・コーディネート等、承ります。お気軽にお問い合わせください。

新連載コラム、地球に優しい旅しよう!

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 きっと旅に出たくなる!世界各地のニュースやイベントが満載の旅情報サイト「Risvel リスヴェル」で、今月より、連載コラムを掲載していただくことになりました!

 コラムのタイトルは「地球に優しい旅しよう!自然と動物好きなトラベルジャーナリストの旅コラム」。

 自然を肌で感じ、その土地ならではの動物や植物、おいしい食べ物などに癒されながら、心も体もリフレッシュする旅をご提案できればと思っています。オーストラリアのネタが中心になりそうな予感ですが(笑)、その他世界中の旅先で見つけた話題なども織り交ぜながら、心に残った旅を綴っていきますので、お楽しみに♪

【連載コラム】地球に優しい旅しよう!自然と動物好きなトラベルジャーナリストの旅コラム @ Risvel

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続)放射能と狂牛病の奇妙な関係

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 昨年7月に、「チェルノブイリ原発事故(放射能)と狂牛病の奇妙な関係」について触れたが、その後もいろいろと狂牛病に関して調べていたら、興味深い事実が次々とわかってきた。

 まず、ひとつめは、狂牛病(mad-cow disease)というのは、日本の厚生労働省なども認めているように「1986年に英国で発見」されたことになっているが、実はこれ以前にも、「へたり牛」と呼ばれる狂牛病にかかった牛と同様の症状が出ていた牛が、まったくいなかったわけではないということ。「へたり牛」とは、脳神経が侵されてちゃんと立てなくなり、へたったように座り込んでしまうことから名づけられたものだが、こうした症状を発症した牛は、1986年以前にも発症ケースは少ないものの、いたのだという。

 そして、それはイギリスだけでなく、アメリカでも見られていたということ。ちなみに、アメリカにおける狂牛病感染例は4例しかないことになっているが、この「へたり牛」に関しては、アメリカ国内で初の狂牛病が確認される以前からあり、この肉が市場に流通し、度々問題にもなっている。このあたりのことについては、(できたら)また回を改めてご紹介したいと思う。

 では、なぜ1986年に英国で発見された、ということになっているかというと、それは、この年を境に爆発的に増え、「狂牛病=mad-cow disease」と命名されて、正式に認められたからだ。ここで再度繰り返すが、1986年はチェルノブイリ原発事故が起こった年である。

 ※「mad-cow disease(狂牛病)」と「BSE」は同じもの、そして、「foot-and-mouth disease(口蹄疫)」も同様と考えていい。その理由はこちら。口蹄疫は、口蹄疫ウイルスの感染によって発症すると言われ、狂牛病はプリオン異常が引き起こすと考えられているが、狂牛病のプリオン異常については確定的な証拠はまだない。

 そして、二つめと三つめは、放射能と狂牛病の関連性をさらに強く示唆する以下の事実。

狂牛病を発症した牛はチェルノブイリ事故の翌年生まれが多い

 チェルノブイリ原発の事故が起こったのは、1986年の4月。英国で狂牛病が発見された(認定されたというべきかも…)のは、同年11月。その後、数年間で爆発的に増加した。しかし、最も多くの牛が発症したピークは、それから6年後の1992年から1993年にかけてだそうだ。

 九州大学の調査によると、「狂牛病を発症した牛の誕生年を調べると、1987年に誕生した牛が最も多いことが判明した」とある。つまり、チェルノブイリ原発事故の翌年に誕生した牛が、狂牛病を発症しやすかった、ということだ。

 ちなみに、肉用牛の妊娠期間は、平均285日(280~290日)間(参照)。母牛は妊娠期間中に原発事故に遭い、被曝したであろうことが示唆される。また、直接事故による被曝でなくとも、放射線量の高い時期に妊娠していたことは事実だろう。

 上記のことから、ピーク時が1992~1993年だとすると、産後すぐに発症するよりも、生まれてから5~6年後に発症するケースが多いということになる。そういう意味では、狂牛病がもし原発事故等による放射能と関係があるとすれば、他の放射能との関連性が疑われる甲状腺疾患や癌などと同様、本体または母体(妊娠期)の被曝から数年後に発症するケースが多いといえるのかもしれない。

 また狂牛病関連では、原発事故に右往左往している間に、来年初めにも、日本の牛肉に対する輸入規制が緩和されることになった。BSE(狂牛病)対策として現在実施されている輸入規制では、月齢「20カ月以下」の牛に限られているが、これを「30カ月以下」に緩和するという。(参照:牛肉の輸入規制緩和 BSEの不安拭えるか

福島原発事故後にも狂牛病が発生

 福島原発事故から約1年経った2012年4月、アメリカ西海岸のカリフォルニア州の乳牛に狂牛病=BSE発症が確認された。(参照:カリフォルニア州乳牛で狂牛病確認、流通網に入らず-米農務省アメリカで6年来初めてのBSE 非常に稀な非定型BSEというが徹底的検証が必要

 そして、この牛は、これまで狂牛病の感染経路とされてきた「汚染された動物性飼料」からの感染ではないという。以下、CNNの日本語ニュースより該当部分を抜粋。(参照

BSE感染はカリフォルニア州中部の乳牛で確認された。米当局によると、感染牛は人間用の食肉の処理工程には入っておらず、感染源は汚染された動物性飼料ではないとみられる。

 BSEは大抵の場合、肉骨粉などの動物性飼料を通じて牛に感染する。しかし農務省によれば、今回確認されたのは特異な形態のBSEで、飼料汚染が原因ではないようだという。

この記事で最も興味深いのは、感染経路が「飼料ではない」、と米当局が言明したことだろう。では、何が原因だったのか?については、その後の発表はないままに、この問題もウヤムヤになってしまった。

 また、狂牛病ではないが、2011年半ばに欧米で「スーパーサルモネラ菌」が流行、8月にはアメリカで死者がでる騒ぎとなった。このスーパーサルモネラ菌の発病は3月に遡ることができる、と英デイリーメール紙は伝えている。(参照:One dead in turkey salmonella outbreak across US

 ちなみに、ここでも書いたが、イギリスで狂牛病騒動が起きた際も、サルモネラ菌が流行した。

 一方、原発事故と狂牛病との関連性に目を向けるとどうか? これは、もう既にご存じの方も多いと思うが、福島原発から放出された放射性物質は、偏西風に乗り、事故から数日後には、既にアメリカ西海岸に届いていた。このことは、オーストリア気象地球力学中央研究所(ZAMG)のシュミレーション・データを見てもよくわかる。(※画像クリックで本サイトへ飛びます)

福島第一原発から放出された放射能拡散の様子 -オーストリア気象地球力学中央研究所(ZAMG)のデータ
 また、2011年3月17日にアメリカCBSで放送されたニュースでも、翌日の18日には西海岸に到達する、と報道している。

 チェルノブイリ原発事故と共にイギリスで狂牛病が確認され、その後数年で爆発的に増加。イギリスをはじめとする欧州各地で被害は拡大し、死者を出すまでになった。そして、今度は福島原発事故が起き、その1年後にアメリカで狂牛病が確認された…という事実。福島原発事故の数年後は、一体どうなっているのだろうか?

<追記2012.11.7>IAEAの『NUCLEAR GLOSSARY(核用語集)』に「BSE」が入ってるのも興味深い。

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