野球では食っていけない!?オーストラリアの野球事情とWBC

シドニー五輪時の野球の試合会場
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3月7日より、野球世界一を決めるWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)2017が開幕した。

4年に一度の頂上決戦の大舞台へ、オーストラリアは予選を勝ち抜いて一次ラウンド出場権を獲得。日本と同グループ、プールBでの対戦が決まった。

オーストラリアでは、けっしてポピュラーなスポーツとは言えない野球。

選手のほとんどが本職を別に持つセミ・プロなのに、五輪アテネ大会では、日本を2度も破り、銀メダルを獲得するなど、ちょっと侮れないチームなのだ。

 

WBC 2017オーストラリア vs日本

昨日8日、オーストラリアは今大会初戦で、いきなり強豪・日本と激突!

先制ホームランでリードしたものの、1-4で敗れた、、、が、内容そのものはそれほど悪いとはいえない。

先発した日本のエース・菅野には、ヒットこそなかなかでないものの、割とタイミングもあっていて、4回と5回に得点圏へランナーを進めた。

もし、大会規定の投球数制限がなく、そのまま菅野が続投していたら、あと1、2点は入っていたかもしれないし、逆にオーストラリアの先発アサートンにも手こずっていた日本が、投球数制限もあって投手交代となり、それまで抑えられていたのが当たり始めて、流れを掴んだようなところもなきしもあらず。

しかも、今大会の一次ラウンドのプールBの組み合わせでは、オーストラリアと中国は3連戦となっており、「投手の連投は2日間まで」という大会規制のため、思うように投手を使えないジレンマがある。

日本やキューバのように中日(なかび)があれば、ディーブル監督ももっと違う試合の組み立てができたはずだ。

そう考えると、オーストラリアにとっては強豪・日本と同組に入ってしまっただけでなく、試合日程が非常に不利な大会ともいえる。

そんな冷たい仕打ちを浴びながら(?)、自国ではマイナーなスポーツを薄給で一生懸命プレーするオージー軍団。
なんとか本戦に行かせてあげたい!じゃないですか。。。

 

野球では食って行けないオーストラリア

はっきり言おう。

野球は、スポーツ大国オーストラリアでは驚くほどマイナーなスポーツだ!

2010年にMLBの支援を受けて本格的なプロ野球リーグが発足したとはいえ(その前にも似たようなものがあったが、財政難で休止に追い込まれた)、選手のほとんどは本職を別に持つ二足のわらじで、仕事があるため、試合は基本的に、金土日の週末のみ。

※稀に、祝祭日やクリスマス&年末年始などの休暇シーズンには木曜日などに試合があることもある。

プロと言っても、選手たちの平均報酬は週300豪ドル(約27,000円)にも満たない。ほとんどが月給にすると約1,000豪ドル(約90,000円)程度だという。これだと、一試合当たり貰えるのは1万円前後のお小遣い程度にしかならない。

明らかに一般的な日本のサラリーマンより待遇が悪い。しかも、日本より物価の高いオーストラリアでこの給料ではとてもじゃないが、食べていけない。

だから、選手たちは、消防士や工場勤務などをしながら野球を続けるしかないのが実情なのだ。そう、それはまるで、クラブ活動か趣味でやっている草野球のように…

今回のWBC出場のために選出された選手たちのほとんどは、こうした国内リーグ所属の選手だ。

だからこそ、野球を国内で認知させるためにも、本大会へ出場し、いい活躍をして、メジャーリーグや日本などのプロ野球界に目をつけてもらえるような場にしてあげたいじゃないの!

それに、年俸何千万円とか何億円ももらう日本のプロ野球の一流選手を相手に、草野球レベルのオージー軍団がわずか4点しかとられていないのだ。世界にもっと一泡吹かせてやりたいじゃないですか。

 

野球はなぜオーストラリアで人気がないのか?

五輪で銀メダルとっても、オーストラリア国内では、ほとんど見向きもされなかった野球というスポーツ。

なぜそんなにマイナーで人気がないのかといえば、いくつか理由がある。

そのひとつは、よく言われるように「他に強いスポーツがいくつもあるから」。確かに、オーストラリアはラグビーやクリケット、豪国内独自のオージー・フットボールなどがあり、どれも大変な人気だ。

※ラグビーについては、日本人が思うラグビーと若干違っていると思うので、こちらをご参照ください。

野球と並んでマイナーなスポーツと言われ続けてきたサッカーでさえ、プロリーグが発足し、順調にファンやプレー人口を増やしている。

それなのに、野球ときたら、いつまでたってもとんと冴えない。。。

それは、オージーのアメリカ・アレルギーにも一因があるようなのだ。
実はオージーは、アメリカ嫌いが多い(笑)

昨日もWBCで戦うオーストラリア代表に対し、こんなご意見が・・・

 
まあ、こんなにあからさまな人は珍しいけれど、アメリカをあんまりよく思ってない人は意外と多い。

その証拠に、スターバックスやアバクロなど、アメリカの有名企業がオーストラリアへ進出しても、ことごとく叩きのめされて(利用者や販売数が少なく経営不振に陥る)、追い出してしまったりする。
注意)IT企業はこの限りではありません。

そんなわけで、野球=アメリカ発祥のスポーツ、というイメージから、なかなか根付かないところもありそうなのだ。

ともあれ、オーストラリアで野球が人気のスポーツになれば、身体的能力の高い人材がいっぱいいるから、すごいチームになりそう。

ちなみに、スポーツのオーストラリア代表チームには、例えば、サッカーなら「サッカルーズ」、ホッケーなら「クッカバラズ」といった愛称がついているのだけれど、一応、野球チームにも愛称がついている。

その名は、「サザン・サンダー」。

直訳すれば「南の雷」、南からやって来て雷のように一撃するぜ!という心意気が込められている。
がんばれ、オージー雷軍団!!!

About Me
Miki Hirano平野 美紀 
自然に魅せられ、6年半暮らしたロンドンからオーストラリアへ移住。トラベル・ジャーナリストとして各種メディアへの執筆、ラジオ/テレビ出演などで情報発信しながら、メディア・コーディネーターや旅行情報サイトの運営も。目下の関心事は野生動物とエコ。シドニー在住20年以上。詳細なプロフィールはこちら。
執筆依頼、取材代行、メディア・コーディネート等、承ります。お気軽にお問い合わせください。

追憶の“ありかとう” ~心温まる粋なパリのレストラン

パリのオテル・ド・ヴィル
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溜まりに溜まったオフィスの資料や本を整理していたら、思わぬものがでてきた。

その昔、フランスへ行った時のパンフレットや航空チケットの控えに混じって、食事をした際のものと思われるレシートが数点。日付をみると「07/09/97」とある。つまり、1997年9月7日のものだ。

薄っぺらいレシートの紙で、店の名刺ともいえるショップカードが2枚巻かれていた。お店の名前は「Les Fous d’en Face」。住所は 3 rue du Bourg Tibourg, 75004 Paris とある。

パリといっても、どの辺にあるどんな店だったのか、とんと覚えていない。食べたのはどうやらセットメニューだったのか、「2人分の食事」といった意味のフランス語だけが書かれていた。金額はたぶん311フラン。日本円にすると5,600円くらいか?

まあ、そんなレシートの内容はどうでもいい。
とにかく、レシートの一番下にある「TOTAL SERVICE COMPRIS(サービス料込みの合計額)」欄に、目が釘付けになってしまった!

そこにあったのは・・・

あ り が と う
サービス欄に「ありかとう」と日本語が書かれたレシートとお店のショップカード

サービス欄に「ありかとう」と日本語が書かれたレシートとお店のショップカード

いや、よく見ると・・・

あ り か と う

だ!

よく見ると “ありかとう” だった、、

よく見ると “ありかとう” だった、、

子供が書いたような、ちょっとのたくったような文字でハッキリと「ありかとう」と日本語(平仮名)が書かれていた!!

濁音にはなっていなかったけれど、「ありがとう」と書きたかったのはよくわかる。日本語を習っている、もしくは習ったことのある店員さんだったのだろうか?!

サービス欄に「ありがとう」とは、感激。粋なことをしてくれる。泣けるじゃないかーーっ!(T . T)

このレシートを見つけたことで、19年ぶりに記憶の片隅から甦ったこのパリのレストランに、もう一度行ってみたくなった。

すぐさまネットに繋ぎ、Google先生に訊いてみる。今は便利だ。この店に行った19年前は、まだGoogleなんてなかった時代だもの。ちなみに、Googleの設立は1998年9月4日だそうで、この店に行った日からちょうど約1年後に、この世に登場することになる。

しかし、Google先生は悲しい結果を導き出した…

閉 業
Google先生が、このレストランが「閉店」したことを告げる…

Google先生が、このレストランが「閉店」したことを告げる…

・・・閉店していた…
・・・・・マジかよ、、なんてこった、、、がっかり…(;_;)

でも、Google先生は忘れていた様々なことを教えてくれた。

レストランがあった場所を示すGoogle Map

レストランがあった場所を示すGoogle Map

お店の場所はマレ地区、地下鉄のオテル・ド・ヴィル駅から歩けるところにあった。そして、ネット上に残された世界中の人々の足跡(投稿写真)からお店の雰囲気もわかった。

そうそう、こんな感じの、素朴でいかにもフランスの片田舎風と言った感じのビストロだったよ!

それでも残念ながら、何を食べたのかは未だに思い出せていない。けれども、その店は割と評判がよく、2014年頃までは同じ場所で営業していたこともわかった。

何人かがこの店を訪れた感想や紹介文をブログに書き留めてくれていて、つい数年ほど前までのお店の様子を今でも知ることができる。

パリにいくつかあるホテルが運営するブログでは、お料理まで詳細に記され、「お気に入りのパリジャン・レストラン」としてリストに挙げていた。
“Les Fous d’en Face” restaurant in Paris

以下のブログはフランス語のため、内容はすべて把握できないけれども、今手元にある19年前のショップカードは、ほぼそのままのデザインで2012年まで使用されていたことがわかった。たぶん、閉店するまでずっと同じデザインだったのだろう。
Les fous d’en face

レストランで食事をして、こんなに嬉しい気持ちにさせてくれるレシートをもらったことは他にはない。なのに、「もう一度行ってみたい!」というささやかな願いは、もう二度と叶わないのが寂しい…

それでも、いろいろと検索してみたら、閉店するまで地元の人を含め、たくさんの人々に愛されたレストランだったであろうことがわかって、少し心が温かくなった。

くーーー、それにしても残念!!!

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シドニーを襲った100年に一度の猛烈な嵐が示唆するもの

シドニー北部沿岸部で被害にあったビーチフロントのカフェ&パブ
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 2016年6月3日の夜から5日にかけて、シドニーを100年に一度という猛烈な嵐が襲いました。

 今回の嵐は、北からの暖かく湿った空気が大量の雨と強風をもたらし、ブリスベン辺りから南下しながら移動。シドニーに到達する頃には、サイクロン(台風)のカテゴリー1級となり、わずか2日程度で6月の平均降雨量に達したほど!

 嵐の通過ルートとなった東部沿岸部一帯で、川の氾濫や貯水池が溢れるなどして洪水が発生、各地で大きな被害を出しました。

 中でも、最も大きな被害が出たのが、シドニー北部ビーチ『ノーザン・ビーチズ』と呼ばれる地区の湖と海に面したエリアです。かつてないほどの豪雨に見舞われ、大量の雨水が湖に流れ込み、湖があふれ、周辺の住宅地が浸水。

 その上、5日がちょうど新月に当たり、大潮(潮の干満の差が最も大きくなる)となったことから、満潮時には2m以上海面が上昇。この湖は、海と繋がっているために、満潮時には湖面も上昇し、さらに大量の水が周辺の住宅地に溢れだしてしまったのです。この結果、この地区の住民数百人が避難を強いられることになりました。

 また、海面上昇と共に猛烈な嵐が高波を引き起こすことが予想されたため、海に面した住宅はとくに注意が必要でした。

 実は、嵐が本格化する前の3日午前中のうちに、SES(State Emergency Serviceの略で、州の緊急救助隊)が、『津波避難マップ』を発表していました。これは、津波などによって洪水が発生した場合、どの辺りがどの程度浸水し、被害がでるかをシュミレーションしたものです。

 しかし、SESのFacebookにこのマップのことが投稿された途端、「この嵐によって、こうなるというの?」「こんな時に発表しなくても!」などと、批判的な書き込みが相次ぎ、パニック騒ぎとなったため、SESが「津波警報ではない」とコメントを発表するなど、大きな騒動に発展。人々は、被害に遭うことなど想定しておらず、他人事のように思っていたのかもしれません。

Tsunami evacuation maps for Sydney and NSW making waves on social media
‘This is not a tsunami warning’: Evacuation maps cause panic

 ところが、実際、シドニーに嵐がやってきた時、まさにこのマップの避難レッド・ゾーンとされたエリアが、とんでもない被害に遭ってしまったのです!

 猛烈な嵐が引き起こした高波が、満潮時の高潮と相まってその威力を増し、海は大荒れ。津波避難マップでレッド・ゾーンで示されたビーチ・フロントの住宅に、巨大な波が襲いかかりました。

 波の破壊力は凄まじく、ビーチ(砂浜)が50メートルほどそっくりさらわれ、住宅の一部が崩壊。プールや塀、バルコニーの土台などが海側へ落ちてしまいました。この住宅は、嵐が去った今でも、高潮による大波が押し寄せているために、毎日、徐々に土地がえぐられ、今にも家屋が落ちそうな状態になっているところもあります。

 実は、このビーチは、以前から専門家らがこうした危険性を指摘しており、シー・ウォール(防波堤)を造る計画がありました。2002年には、該当カウンシル(役所)が、1.1kmほどのシー・ウォール造成計画を発表したところ、住民らの猛反対にあい、数千人規模のデモに発展。計画がとん挫した経緯も…。

Wall of humanity lines up against councils November 18 2002

 その後、2014年にもシー・ウォール造成が議会で認可承認されたのですが、費用をだれがどの程度負担するかで揉め、計画途上となっていたのです。

 というのも、こうした問題は、関係するのが個人の所有地となり、それを造ることによる恩恵を受けられるのは、あくまでもそこに住む住民のみですので、公費(税金)をどこまで投入していいのか、という難題がつきまといます。無関係の住民は、税金が使われることに反対の立場をとるでしょう。

 シー・ウォールを造るのには、一軒当り140,000豪ドル(現在のレートで1,116万円程度)かかるそうですので、喜んで払いたいという人は少ないでしょうし、ましてや自分にはなんら関係のない人が、支払った税金が使われることを嫌がるのも無理からぬ話。

 とはいえ、カウンシルと州政府もこのまま放置するわけにもいかず、該当住民と話し合って、被災した住宅が面している海側に共同でシー・ウォール造るという話になってきていますが、わずか500メートルほど1ブロック先の住民らは、「うちだってまったく被害がないわけじゃないし、今後、同じようなことが起こらないとも限らないのに、うちのところには造ってもらえないなんて!」と、不公平感をあらわに…。

 それに津波だけに限らず、川が氾濫しやすく、洪水が起きやすいエリア、豪雨などで地滑りが起きやすいエリア、この国ならブッシュ・ファイヤー(森林火災)が起きやすいエリアなど、様々な自然災害の危険性が高いとされるエリアは、言い出せばきりがないほど、他にもたくさんあります。

 高波に襲われる危険の高いビーチ・フロント住宅のみ、役所や州政府の援助の下で災害対策が施されるのはフェアじゃない!他にもあるこうした様々な自然災害の危険と隣り合わせで暮らしている住民たちへの援助はどうなるのか?など、厳しい意見もチラホラ……。

 ビーチ・フロントの家は、たしかに風光明媚で、住んでいて気持ちいいことでしょう。毎日、目の前に広がる海を眺めながら暮らせるなんて、なんて贅沢な!と思う人も多いと思いますが、こうした被害に遭うリスクは、どうしても高くなることは否めません。リスクを覚悟で住むか、という問題に直面しそうです。

 今回の件で改めて感じたのは、住むところを決める時は、可能な限りリスクの低い場所を選んだほうがいいよなぁ…ということ。自然の脅威は、人間が推し量ることなどできないと認識しておくことが重要だとつくづく実感したのでした。保険会社や役所との骨の折れる交渉も含め、誰の責任だとか、誰の(何の)せいだとかいう面倒な闘争にも巻き込まれたくないしね…(^_^;)

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アウトドア・リビングの活用

ビーチにあるバーベキュー・エリア
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 年末からぼんやりと考えていたのだけれど、自宅の部屋に接した屋外部分(アウトドア)をもっと有効活用したい!というのが、年頭に立てた目標のひとつ。

 オーストラリアでは、こうした部分を『アウトドア・リビング』と呼び、屋外でありながら、ひとつの部屋であるかのように(外用の)ソファや椅子、テーブルなどを置いて、自宅でのパーティーなどの時に使うのが人気なのです。うちにも大きなデッキがあるんだけど、ちっとも活用されてない、、(´・ω・`) で、今年こそ、もっと快適な場所にしたい!ってわけです。

 そして、この国のそうしたアウトドア・リビングに絶対に欠かすことができないものがひとつありまして……それはBBQ(バーベキュー)セット!

 “三度のめし”がすべてバーベキューでも、きっと文句はでないだろう、というくらい、オージーはバーベキュー好き。週末ともなれば、どこからともなく漂ってくるバーベキューの匂い。そして本物のオージーは、バーベキューのことを普通に「バーベキュー」とは呼ばず、たっぷりの愛情を込めて「バービー(barbie)」と呼びます。そのくらい、バーベキューが大好き(笑)

 バーベキュー用品の専門店(バービー・ショップ)に行くと、携帯用の小さなものから屋外キッチンか?というくらい立派なものまで、様々なバーベキュー・セットが売られていて、アウトドア・リビングには、立派なバーベキュー・セットを置くのが、オージーの夢…といっても過言ではないかも?

 でも、オージーのほどバービー好きじゃない我が家では、そこまで立派なセットは場所もとってしまうし、要らないよね…ってことで、どうしようか?といろいろ考えていたところ、イメージにぴったりのものを発見!

 こちらの「アウトドアエリアを自宅に!」というページで紹介されている折りたたみ可能な壁付けバーベキュー・セット。これなら、使わない時は閉じておけば邪魔にならないし、使う時だけパカっと開けてバーベキューができそう♪

 でも・・・個人的には、その下にでているアウトドア・バス(露天風呂)のほうに、とっても惹かれてしまうのですよ。。やっぱりどこまでも日本人だ!(笑)

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シドニーで起きたカフェ人質事件の顛末…

シドニーで起きたカフェ人質事件の犠牲者への献花であふれるマーティンプレイス
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 シドニーの中心部で、とんでもない事件が起こってしまった… 観光スポットでもあるマーティンプレイスにある「リンツ・チョコレート・カフェ」に、銃を持った男が従業員と客を人質に立てこもり、治安部隊(武装警察)が突入、犯人を含む3名が死亡するという痛ましい事件だ。

 カフェのマネージャーと客として店内にいた女性弁護士の2名が、犠牲になってしまった… この2名の犠牲者が、犯人によって撃たれて殺されたのか、治安部隊突入による銃撃戦で流れ弾に当たって死亡したのか、原因はわかっていない。

 事件の現場となってしまった「リンツ・チョコレート・カフェ」は、チョコレート会社がやっているカフェで、チョコレートのメニューが豊富なため、女性にはとくに人気の高いカフェだ。だから、どちらかといえば、いつも女性客が多い。男性は女性と共に来店した人か従業員くらいで、店内は広く、犯人が人質をとって立てこもるには条件が揃ってたかもしれない。

 実は、私も事件が起こるわずか10日ほど前に、この界隈を取材でウロウロしていた。というか、まさにこの「リンツ・チョコレート・カフェ」をこれから公開予定のウェブ・コンテンツで紹介するため、訪れていた。長い時間その場所に留まってはいないが、自分が巻き込まれる可能性がまったくなかったわけではないと思うと、背筋が寒くなる。

 とはいえ、事件があった当日は、シドニーを離れてメルボルンにいたため、たまたま見ていたTwitterに流れてきた豪ABCニュースの『速報』で、事件を知ったのだった。すぐにその豪ABCのツイートをリツイートまたは、日本語で説明を入れてツイートしようかと思ったが、たいしたことなく事件が解決してくれれば、とくに大事(おおごと)にすることもないという思いがよぎり、拡散するのをためらった。この時、頭の中をよぎったのは、事件によってシドニーのイメージが悪くなるかもしれない…というものだった。

 しかし、事件の経過と共に、そんな甘いことをいっている場合ではないとわかり、最初の速報から約1時間後に流れてきた以下のツイートをリツイートした。

 その日は移動していたため、その後もiPhoneを片手に、事件の経過を固唾をのみながら見守っていた。

 事件は、発生から約16時間後に、治安部隊突入。人質となっていた一般市民2名が死亡、半数近くが負傷、犯人死亡という悲惨な結末で幕を閉じた。犯人のイスラム国との繋がりなどが指摘されているが、シドニーでは以前にも、南部クロヌラで現地の白人系と中東系イスラム教徒らの武力衝突があり、民族暴動まで発展したことがあった。そうした意味では、様々な国からの移民で成り立つ国家の危うい部分は常にあるといえるかもしれない。普段から小さな衝突や差別的な事件がまったくないわけではないが、オーストラリアは全般的に概ね治安はよく、最大都市のシドニーでさえ、このように大きな事件はかなり少ない。

 そんな中で起こった痛ましい事件。いつもは平穏なオーストラリアにおいて、師走に起きたこの事件が、「2014年オーストラリアの14大ニュース The top 14 stories of 2014」のトップとなったのも頷ける。犠牲となってしまったお二方に、心から哀悼の意を捧げます。

※そんなわけで、記事内で紹介する予定だった「リンツ・チョコレート・カフェ」の部分はカット、別の物件に差し替えとなりました…。事件の経緯は、日本でもかなり報道されていたようなので、各メディアで確認してみてください。

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さよなら、TENSAI(天才)~シドニーで最も愛された日本人・小野伸二

サポーター席に登場した小野伸二選手の大きな顔が描かれた横断幕
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 2014年4月5日、豪州東部時間午後6時。シドニー西部パラマタに、秋の訪れを感じる冷たい風を吹き飛ばすような熱気が押し寄せる。赤と黒、もしくは、赤と白のジャージに身を包んだ集団が、次から次へと押し寄せる紅い波のように、パラマタ・スタジアム(通称Pirtek Stadium)へと流れていた。

 パラマタ・スタジアムを本拠地とするサッカー豪州Aリーグ・ウェスタンシドニーワンダラーズの今季ホーム最終戦。サポーターたちが、最後のホームゲームでの勝利を信じて集結したのはもちろんだが、この日は、ウェスタンシドニーワンダラーズにとって、特別な日でもあった。

ウェスタンシドニーワンダラーズの歴史を作った男

ウェスタンシドニーワンダラーズのホーム「パラマタ・スタジアム」

 それは、チームの歴史を作った一人のプレーヤーをホームで見られる最後の試合でもあったからである。(注:レギュラーシーズンのホーム最終戦。この後にもう1試合メルボルン=アウェイが残っている。)

 背番号21 SHINJI

 そう、日本人サッカープレーヤー・小野伸二、その人だ。

 2012年、ウェスタンシドニーワンダラーズ創立に際し、クラブ初代のマーキープレーヤーとして加入、あっという間にAリーグのスターの座を射止めた。その華麗なプレーはもちろん、お茶目な人柄が、サポーターたちの心をぐっと掴み、クラブの顔となったのである。そして、オーストラリアのサッカー解説者が小野を賞賛する際に多用する「TENSAI(天才)」という日本語が、彼の代名詞となり、サポーターの間でも定着。天才は、クラブ創設わずか1年目にして、初のレギュラーシーズン優勝を引き寄せる立役者となった。

 パラマタの地元でも人気者となり、チームにとってもなくてはならない存在となった天才・小野伸二。残念ながら、今季限りでウェスタンシドニーを退団、札幌コンサドーレへの移籍が決まっている。この移籍が発表された時、サポーターたちの嘆きはかなりのものだったようだ。とはいえ、嘆きの中にも「小野は永遠にクラブのレジェンド」「忘れることはない」など、小野の偉業を賞賛する声が相次いだ。(参照

小野選手へ、心からのフェアウェル


 サポーターたちは、この日、小野選手へのフェアウェル(お別れ)メッセ―ジが描かれた手作りの横断幕やサインボードを手に、スタジアムへやって来ていた。スタジアム入口では、応援のための小野のお面や小野が表紙になったクラブ機関紙なども配られた。皆、それを手にしながら、小野への別れと感謝の思いを胸に、スタジアムへと入っていく。

 スタジアムには、本当に大勢の小野ファンが詰めかけていた。一家そろって小野の大ファンという家族、とにかく小野が大好きという子供たち、小野のような選手になりたい、サッカーがうまくなりたいという男性、21 TENSAIのジャージを着た老紳士などなど、ちびっこからお年寄りまで、本当に本当にたくさん……

 そして、クラブとスタジアムは、ウェスタンシドニーの21番・小野伸二の背番号にちなんで、21分にサプライズを用意していた。

マジカル21ミニッツ


 試合開始前から、何度となく「シンジ!オノ!」の大歓声があがる。スタジアムが一丸となって、「シンジ!オノ!」をコールする。それぞれが、自作の小野へのメッセージが描かれた横断幕やプラカードを高く掲げ、精一杯のフェアウェル&サンクスを贈る。日本語の「ありがとう」「さようなら」「小野伸二」「おのしんじ」「オノシンジ」「天才」といった文字が躍る。一生懸命練習したのだろう、どこかユーモラスなその字体が、妙に微笑ましい。そんな様子を見ていると、小野伸二というプレーヤーがこんなにも地元で愛されていたのだと、あらためて実感する。

 午後7時45分、キックオフ。ホーム最終戦のためか、スタジアムに数発の花火が上がった。天才21番が、元気よくフィールドへ走り出すと、観衆の熱気は最高潮に!ボールが21番へ蹴りだされる度に、「オノオノ!シンジ!オノ!オノオノ!シンジ!オノ!」の大歓声あがる。

 そして、試合開始21分。

 スタジアム上空に、大きな打ち上げ花火があがった!客席から大量の紙吹雪が舞い飛ぶ。「シンジー!オーノー!」のコールがスピーカーから響き渡り、天才21番の顔がスタジアムの大スクリーンに映し出されると、観衆は総立ちとなり、一斉に「シンジ!オノ!」の大合唱に包まれた。まさに、スタジアムが「シンジ・オノ」一色に染まった瞬間。

 その後も、「シンジ!オノ!」の掛け声は何度となく上がり、後半45分に交代となり、ピッチから下がる時には、スタジアムに詰めかけた観衆全員のスタンディングオベーションで見送られた。

 今季限りでシドニーを去る天才。彼が残した偉業は、ウェスタンシドニーのクラブ史に残るだけでなく、「TENSAI(天才)」という日本語を定着させ、シドニーで最も愛された日本人として、地元の人々の心の奥底に永遠に刻まれることになるだろう。天才21番・小野伸二の軌跡は、シドニー西部の小さな町パラマタのそこかしこに残っている。

 試合後の帰り道、21 TENSAIのジャージを着た老紳士の後ろ姿が、心なしか寂しそうに見えたのは、私だけではなかったはずだ。

 Sayonara Tensai! Arigato Tensai!

※以下で、ウェスタンシドニーワンダラーズ公式ツイートによる、当日のサポーターの様子を一部ご紹介します。最後に入れた、小野選手のフェアウェルのために作られた素晴らしい動画も必見です。


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王様のおやつ グーテデロワ を作ってみた-ラスク の レシピ

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王様のおやつ と呼ばれる ラスク を手作り! なかなかそっくりに作れたので、 レシピ をメモ。

 日本ですごく人気だという「ガトーフェスタ ハラダのグーテ・デ・ロワ」。いわゆる、 ラスク と呼ばれるフランスパンを使ったお菓子で、『 王様のおやつ 』と書いてある。

 なんで『王様のおやつ』なんだろうと思って調べてみると、商品名にもなっている「グーテ・デ・ロワ」が、フランス語で『王様のおやつ』という意味で、「お茶会」のことを指すらしい。

 まあ、講釈はどうでもよいのだけれど、先日、「ガトーフェスタ ハラダのグーテ・デ・ロワ」を食べる機会があった。バターの風味とちょっとジャリっとしたグラニュー糖のコンビネーションが、パリっとした生地に良く合って、確かにおいしい。2人であっという間に食べてしまった。

 バターすっかり食べきった後、「これ、家で作れそうだよね?」という話になり、後日、早速やってみることに… なんせ、シドニーじゃ買って来たくてもムリ!(笑)

まずは材料調達

 オーストラリア大手スーパーマーケットのColesにて、材料を調達。フランスパンを一から作るのは面倒なので、フレンチ・スティックという細めのフランスパンとColesオリジナルブランドの減塩バターを購入。ジャリっとしたグラニュー糖を再現するために、家にあった精製してないローシュガー(茶色のグラニュー糖)を使うことにした。

 んで、出来たものがこれ↓ めちゃめちゃ「グーテ・デ・ロワ」に近いものが出来上がった!味もかなりそっくりで、食べだしたら止まらないほどおいしい♡

王様のおやつ ラスク
 作り方は超簡単!以下にメモっておくので、「グーテ・デ・ロワ」ファンの方はお試しあれ。

まねっこ「 王様のおやつ 」の作り方 レシピ

  1. フランスパンは「バケット」タイプの細長いもので、できるだけ固めのものを利用。厚さ8ミリ程度に切り分けて、トレーに並べ、半日くらい放置。
  2. バターを湯煎で溶かし、グラニュー糖を入れて混ぜ合わせる。グラニュー糖は、バターに溶けきれないほど多めに。飽和状態でグラニュー糖がじゃりじゃりしてるくらい。だいたいバター10グラムに大匙2杯くらいかな?
  3. 表面が乾燥したフランスパンの薄切りに、飽和状態で砂糖じゃりじゃりのバターを砂糖をすくい取りながら、まんべんなく刷毛で塗る。
  4. トレーに並べ、オーブントースターで塗った面だけを約3分ほど焼く。
  5. 粗熱が取れるまで放置し、再度オーブントースターで約2分ほど焼く。
  6. 粗熱が取れたら、裏返し、先ほどと同じく、飽和状態で砂糖じゃりじゃりのバターを塗る。
  7. 先ほどと同じく、オーブントースターで今度は約2分焼いて、一旦冷まし、更に焼き加減を見ながら1~2分ほど焼く。

 冷めたら、出来上がり!

この手作り ラスク レシピ のポイント

 ポイントは必ず良質なバターを使うこと。そして、ふつうのバターだと塩分が強すぎると思うので、無塩または減塩タイプがおすすめ。無塩の場合は塩ひとつまみくらい入れるといいと思います。

 あと、バターを溶かす時、面倒だからとレンジでチンしちゃだめ!バターの風味が壊れてしまうので、必ず湯煎で。あとは、グラニュー糖の量も加減せずにたっぷりと。もうこれ以上(バターに)溶けられません…というくらいの飽和状態がいいみたい。一気にオーブンで焼いてしまうより、片面ずつ焼いたほうがいいみたいなので、オーブントースターを使用。

 とにかく手軽に、おいしい「王様のおやつ」が再現できるって嬉しい♪

 …でも、ちょっと思ったんだけど、日本だとバターが結構高いので、材料費とか手間を考えたら、手作りするよりも買ってきたほうが安上がりかも。。ともあれ、手作りの楽しさと、自分で目に見える安心な材料で作ったお菓子ってことで、お好きな方はぜひ!

About Me
Miki Hirano平野 美紀 
自然に魅せられ、6年半暮らしたロンドンからオーストラリアへ移住。トラベル・ジャーナリストとして各種メディアへの執筆、ラジオ/テレビ出演などで情報発信しながら、メディア・コーディネーターや旅行情報サイトの運営も。目下の関心事は野生動物とエコ。シドニー在住20年以上。詳細なプロフィールはこちら。
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